新約聖書 馬可傳 俗話 第一章 0101 これは神〈かみ〉の子〈こ〉イエス キリストの福音〈ふくいん〉の始〈はじめ〉でござります 0102 預言者〈よげんしや〉に見〈み〉よわれなんぢの顔〈かほ〉の前〈まへ〉にわが使〈つかひ〉をつかはさんかれ汝〈なんぢ〉のまへにその道〈みち〉を設〈まうく〉べし 0103 野〈の〉に呼〈よべ〉る人〈ひと〉の聲〈こゑ〉ありいはく主〈しゆ〉の道〈みち〉を備〈そな〉へその道筋〈みちすぢ〉を直〈なほ〉くせよとあるやうに 0104 ヨハネは野〈の〉でバプテスマをほどこし罪〈つみ〉の赦〈ゆるし〉を得〈え〉させるために悔〈くい〉改〈あらため〉のバプテスマを宣〈の〉べ傳〈つた〉へました 0105 ユダヤの國中〈くにぢう〉とエルサレムのひとびとが來〈き〉ておのおの罪〈つみ〉を白状〈はくじやう〉してヨルダンといふ河〈かは〉でバプテスマをうけました 0106 ヨハネは駱駝〈らくだ〉のけごろもをき腰〈こし〉には皮帶〈かはおび〉をしめ蝗蟲〈いなご〉と野蜜〈のみつ〉をたべて居〈を〉りました 0107 そうして宣〈のべ〉つたへまするには私〈わたくし〉よりもまさつたお方〈かた〉があとからおいでになるが私〈わたくし〉はかがんでその履〈くつ〉のひもをとくにも足〈たら〉ぬものでござります 0108 私〈わたくし〉は水〈みづ〉をもつてあなたがたにバプテスマをほどこしましたがそのお方〈かた〉は聖靈〈きよきみたま〉をもつてあなたがたにバプテスマをおほどこしなさるでござりませう 0109 そのころイエスはガリラヤのナザレからおいでなされヨルダンでヨハネからバプテスマをお受〈うけ〉なされ 0110 やがて水〈みづ〉からおあがりなさるとき天〈てん〉がひらけ聖靈〈みたま〉が鴿〈はと〉のやうにその上〈うへ〉に降〈くだ〉るのを御覽〈ごらん〉なされました 0111 また天〈てん〉から汝〈なんぢ〉はわが愛子〈あいし〉わが喜〈よろこ〉ぶところの者〈もの〉なりといふ聲〈こゑ〉がありました ○ 0112 それからすぐに聖靈〈みたま〉がイエスを野〈の〉にゆかせました 0113 イエスは四十日〈にち〉のあいだ野〈の〉においでなされてサタンに試〈こころみ〉られ獸〈けもの〉とともにおいでなされましたそこへ天〈てん〉の使〈つかひ〉たちがきて事〈つかへ〉ました ○ 0114 ヨハネが囚〈めしと〉られてからイエスはガリラヤへおこしなされ神〈かみ〉の國〈くに〉の福音〈ふくいん〉をのべ仰〈おふせ〉られますには 0115 もはや期〈とき〉は滿〈みち〉た神〈かみ〉の國〈くに〉は近〈ちかく〉なつた汝〈なんぢ〉曹〈ら〉悔〈くい〉改〈あらた〉めて福音〈ふくいん〉を信〈しん〉ぜよ ○ 0116 イエスがガリラヤの湖〈みづうみ〉の邊〈そば〉をお行〈あるき〉なされるときシモンとその兄弟〈きやうだい〉のアンデレが湖〈みづうみ〉に網〈あみ〉を投〈うつ〉てゐるのをご覽〈らん〉なれました〔「さ」脱字か「なされ…」〕この二人〈ふたり〉は漁者〈れうし〉でござります 0117 イエスが二人〈ふたり〉にむかつて我〈われ〉に從〈したが〉へわれは汝〈なんぢ〉曹〈ら〉を人〈ひと〉を漁〈すなど〉るものとして遣〈つかは〉さうと仰〈おふせ〉られると 0118 二人〈ふたり〉はすぐにその網〈あみ〉をすててイエスにしたがひました 0119 そこから少〈すこし〉先〈さき〉へお進〈すすみ〉なされゼベタイの子〈こ〉ヤコブとその兄弟〈きやうだい〉のヨハネが舟〈ふね〉のなかで網〈あみ〉つくろふて居〈をる〉のをご覽〈らん〉なされて 0120 すぐにお呼〈よび〉なさると二人〈ふたり〉は父〈ちち〉のゼベタイを傭人〈やとひにん〉といつしよに舟〈ふね〉にのこしておいてしたがひました ○ 0121 それからカペナウムへまゐりましたがイエスはすぐに安息日〈あんそくにち〉に會堂〈くわいだう〉にはいつてお教〈をしへ〉なさると 0122 人々〈ひとびと〉その教〈をしへ〉におどろきました何〈なぜ〉といふに學者〈がくしや〉のやうではなく權威〈けんゐ〉あるもののやうにお教〈をしへ〉なされたからでござります 0123 その會堂〈くわいだう〉に穢〈けが〉れた鬼〈おに〉につかれたものがあつて 0124 ああナザレのイエスよ私共〈わたくしども〉はあなたと何〈なん〉の關係〈かかはり〉がありますかあなたは私共〈わたくしども〉を滅〈ほろぼ〉しにおいでなされましたかあなたは誰〈だれ〉であるか知〈し〉つて居〈を〉りますすなはちかみの聖者〈きよきもの〉でござりますと叫〈さけん〉でいひました 0125 イエスはこれをせめて默〈だま〉れそこを出〈い〉でよと仰〈おふせ〉らるると 0126 汚〈けがれ〉た鬼〈おに〉がそのひとを拘攣〈ひきつけ〉させ大聲〈おほごゑ〉にさけんでその人〈ひと〉を出〈でて〉行〈い〉きました 0127 人々〈ひとびと〉はみな驚〈おどろい〉てこれは何〈なに〉ごとであらうこれは如何〈いか〉なる新〈あた〉らしい教〈をしへ〉であらう汚〈けがれ〉た鬼〈おに〉でさへも權威〈けんゐ〉をもつて命令〈いひつけ〉れば從〈した〉がつたと互〈たがひ〉にたづねました 0128 そこでイエスの名聲〈きこえ〉があまねくガリラヤの四方〈しはう〉へ廣〈ひろ〉まりました ○ 0129 それから會堂〈くわいだう〉を出〈でて〉ヤコブとヨハネとともにシモン アンデレの家〈いへ〉に行〈いく〉と 0130 シモンの岳母〈しうとめ〉が熱病〈ねつびやう〉でねてをるから或〈ある〉人〈ひと〉がすぐにそのことをイエスにまをしあげると 0131 イエスは行〈いつ〉てその手〈て〉をとつておおこしなさるとすぐに熱〈ねつ〉がはなれて皆〈みんな〉の給仕〈きふじ〉をいたしました 0132 夕〈ゆふ〉がた日〈ひ〉のいるとき人々〈ひとびと〉すべての病人〈びやうにん〉と鬼〈おに〉につかれたものをイエスのところへつれてきました 0133 邑中〈まちぢう〉のものが門前〈もんぜん〉にあつまりました 0134 イエスは樣々〈さまざま〉の病〈やまひ〉を患〈わづら〉つてをる多〈おほく〉の人々〈ひとびと〉を癒〈いや〉しまたおほくの鬼〈おに〉をお逐〈おひ〉出〈だし〉なされ鬼〈おに〉のものいふことをお許〈ゆるし〉なさりませんでござりましたそれは鬼〈おに〉がイエスをしつて居〈を〉るからでござります ○ 0135 昧爽〈よあけまへ〉にイエスははやくおきて人〈ひと〉の居〈を〉らぬとこへ行〈いつ〉てそこでお祈〈いのり〉なされましたが 0136 シモンとまたいつしよに居〈をつ〉たものどもがその後〈あと〉を尋〈たづね〉てまいつて 0137 イエスにお逢〈あひ〉申〈まを〉して皆〈みな〉あなたを尋〈たづね〉てをりますと申〈まをし〉あげると 0138 イエスはいざこれより附近〈もより〉の村々〈むらむら〉へ教〈をしへ〉をのべつたへに行〈い〉かう我〈われ〉はすなはちこれがために來〈き〉たのであるとお答〈こたへ〉なされて 0139 つひにガリラヤの國中〈くにぢう〉をおあるきなされてその會堂〈くわいだう〉で教〈をしへ〉をのべまた鬼〈おに〉をおひだされました ○ 0140 癩病〈らいびやう〉の者〈もの〉が一人〈ひとり〉イエスのところへ來〈き〉て跪〈ひざまづ〉いて願〈ねが〉つてまをしますにもし御意〈ぎよい〉にかなへばあなたは私〈わたくし〉を潔〈きよ〉くして下〈くだ〉さることが出來〈でき〉ますといひました 0141 イエスはこれを不便〈ふびん〉に思〈おぼし〉召〈めし〉て手〈て〉をのべてそれに按〈つけ〉てわが意〈こころ〉にかなつた潔〈きよく〉なれと仰〈おふせ〉られました 0142 そうするとすぐに癩病〈らいびやう〉ははなれてその人〈ひと〉は潔〈きよく〉なりました 0143-0144 イエスはきびしくこれを禁〈いまし〉めてきつと人〈ひと〉に何〈なに〉もはなしてはならぬぞただ行〈いつ〉ておのが身〈み〉を祭司〈さいし〉にみせその潔〈きよめ〉られた證據〈しようこ〉にモーセがいひつけたものを獻〈ささげ〉ろといひつけておやりなされました 0145 けれどもそのものはそこを出〈で〉て方々〈はうばう〉いひふらしてかたり播〈ひろ〉めたものゆゑ此〈この〉後〈のち〉イエスは明〈あら〉はに邑〈まち〉へお入〈はい〉りなさることがむづかしくなつてただ人〈ひと〉の居〈をら〉ぬところへおいでなされましたが人々〈ひとびと〉四方〈しはう〉からそこへまゐりました 第二章 0201 數日〈すじつ〉の後〈のち〉イエスはまたカペナウムへおいでなされたところが 0202 その家〈いへ〉に居〈をら〉れるといふことが聞〈きこ〉へるとすぐにおほくの人〈ひと〉が集〈あつま〉つてきて門口〈かどぐち〉に立〈たつ〉べき塲所〈ばしよ〉もないやうになりましたそこでイエスはその人々〈ひとびと〉に教〈をしへ〉をお宣〈の〉べなさりました 0203 さてここに癱瘋〈ちゆうぶ〉をやんで居〈を〉るものを四人〈よにん〉に舁〈かか〉せてイエスのおん許〈もと〉へつれてきたものがありましたが 0204 込合〈こみあつ〉て側〈そば〉へ寄附〈よりつか〉れぬものゆゑそのおいでなさるところの屋蓋〈やね〉をはいで癱瘋〈ちゆうぶ〉のひとを床〈とこ〉のまま縋〈つり〉おろしました 0205 イエスはその信仰〈しんかう〉を御覽〈ごらん〉なされてちゆうぶのひとに子〈こ〉よ汝〈なんぢ〉の罪〈つみ〉はゆるされたぞとおふせられました 0206 ここに數人〈すにん〉の學者〈がくしや〉たちが坐〈すは〉つて居〈をり〉まして心〈こころ〉のうちに 0207 この人〈ひと〉はなぜこのやうな惡口〈あくこう〉をいふであらう神〈かみ〉の外〈ほか〉に誰〈だれ〉が罪〈つみ〉をゆるすことが出來〈でき〉るものかとまをしました 0208 イエスはすぐにその人々〈ひとびと〉が心〈こころ〉のうちにこのやうなことを論〈ろん〉ずるのを御自分〈ごじぶん〉の心〈こころ〉にお知〈しり〉なされておふせらるるには汝〈なんぢ〉曹〈ら〉はなぜそのやうなことを心〈こころ〉のうちに論〈ろん〉ずるか 0209 癱瘋〈ちゆうぶ〉のひとに汝〈なんぢ〉の罪〈つみ〉は赦〈ゆる〉されたぞと言〈いふ〉のと起〈おき〉て汝〈なんぢ〉の床〈とこ〉を取〈と〉つて行〈ゆけ〉といふのとどちらが易〈やす〉いか 0210 今〈いま〉汝〈なんぢ〉曹〈ら〉に人〈ひと〉の子〈こ〉は地〈ち〉にあつて罪〈つみ〉を赦〈ゆる〉す權威〈けんゐ〉あることを知〈し〉らせんとおふせられてつひにちゆうぶの人〈ひと〉にむかつて 0211 われ汝〈なんぢ〉にいふ起〈おき〉て床〈とこ〉をとつて汝〈なんぢ〉の家〈いへ〉に歸〈かへ〉れとおふせられますと 0212 その人〈ひと〉はすぐに床〈とこ〉をとつて人々〈ひとびと〉の前〈まへ〉に出〈で〉ましたれば皆〈みな〉驚〈おどろ〉いて未〈ま〉だこんなことを見〈み〉たことはないといつて神〈かみ〉をあがめました ○ 0213 イエスはまた海邊〈うみべ〉へお行〈いで〉なされたところがみんな參〈まゐ〉りましたからその人々〈ひとびと〉におをしへなされ 0214 それから先〈さき〉へおいでなされてアルパヨの子〈こ〉レビといふものが税吏〈みつぎとり〉の役所〈やくしよ〉に坐〈すは〉つて居〈をる〉のを御覽〈ごらん〉なされて我〈われ〉に從〈したが〉へとおふせられますとその者〈もの〉は立〈たつ〉てしたがひました ○ 0215 それからイエスがその家〈いへ〉で食事〈しよくじ〉をなさるとき多〈おほ〉くの税吏〈みつぎとり〉と罪〈つみ〉あるものがイエスとお弟子〈でし〉たちといつしよにその坐〈ざ〉に就〈つき〉ました此〈これ〉等〈ら〉のものが多〈おほく〉あつてイエスに從〈したが〉ひました 0216 學者〈がくしや〉とパリサイの人〈ひと〉はイエスが税吏〈みつぎとり〉と罪〈つみ〉あるものといつしよに食事〈しよくじ〉をなされるのを見〈み〉てそのお弟子〈でし〉にむかつて税吏〈みつぎとり〉と罪〈つみ〉あるものといつしよに食飮〈くひのみ〉なされるのは如何〈いか〉なる譯〈わけ〉であるかといひました 0217 イエスはそれをお聞〈きき〉なされて康強〈すこやか〉な者〈もの〉は醫者〈いしや〉の助〈たすけ〉は需〈いら〉ぬが病〈やまひ〉のあるものが需〈いる〉のである我〈わが〉來〈き〉たのは義人〈ただしいひと〉を招〈まね〉くためではなく罪〈つみ〉ある人〈ひと〉を招〈まねい〉て悔〈くい〉改〈あらた〉めさせるためであるとおふせられました ○ 0218 ヨハネの弟子〈でし〉とパリサイのひとは斷食〈だんじき〉することがあつたものゆゑイエスのところへ來〈き〉ていひますにはヨハネの弟子〈でし〉とパリサイの弟子〈でし〉は斷食〈だんじき〉をしますがあなたの弟子〈でし〉はなぜ斷食〈だんじき〉をいたしませんか 0219 イエスはその人々〈ひとびと〉におふせられますには新郎〈はなむこ〉の朋友〈ともだち〉はその新郎〈はなむこ〉といつしよに居〈を〉るうちに斷食〈だんじき〉することが出來〈でき〉るか新郎〈はなむこ〉といつしよにをるうちはだんじきすることは出來〈でき〉ぬ 0220 將來〈のち〉に新郎〈はなむこ〉をとられる日〈ひ〉が來〈く〉るであらうその日〈ひ〉には斷食〈だんじき〉もするであらう 0221 誰〈だれ〉も新〈あたら〉しい布〈きれ〉を舊〈ふる〉い衣〈きもの〉に縫〈ぬい〉つける者〈もの〉は無〈ない〉もし然〈さう〉するならは新〈あらた〉に補〈おぎな〉つたところが舊〈ふるい〉ところを綻〈ほころ〉ばしてその破〈やぶれ〉がかへつて惡〈わる〉くなるであらう 0222 又〈また〉誰〈だれ〉も新〈あたら〉しい酒〈さけ〉を舊〈ふる〉い革嚢〈かはぶくろ〉に入〈いれ〉るものはない若〈もし〉そうするなら新〈あたら〉しい酒〈さけ〉はそのふくろを破〈やぶ〉りさいて酒〈さけ〉はもれいでかはぶくろは破〈やぶ〉れるであらう新〈あたら〉しいさけはあたらしいかはぶくろに入〈い〉るべきものである ○ 0223 さてイエスが安息日〈あんそくにち〉に麥畠〈むぎばたけ〉をおとほりなされたところがお弟子〈でし〉たちが歩〈ある〉きながらむぎの穗〈ほ〉を摘〈つみ〉はじめたれば 0224 パリサイの人〈ひと〉がイエスにむかつてこの人々〈ひとびと〉は安息日〈あんそくにち〉にすまじきことをするのはどういふ譯〈わけ〉でござりますかといひました 0225 イエスのこたへておふせられますにはなんぢらはまだダビデおよび從〈とも〉にをつたものが乏〈ともし〉くて飢〈うゑ〉たときになしたことをよまぬか 0226 その祭司〈さいし〉の長〈をさ〉アビアタルのときに神〈かみ〉の家〈いへ〉にはいつて祭司〈さいし〉の外〈ほか〉は食〈くら〉ふまじき供物〈そなへもの〉のパンをくひかつともにおつたものにも與〈あたへ〉たことをまだよまぬか 0227 またおふせられますには安息日〈あんそくにち〉は人〈ひと〉のために設〈もうけ〉られたもので人〈ひと〉は安息日〈あんそくにち〉のために設〈もう〉けられたものではない 0228 されば人〈ひと〉の子〈こ〉は安息日〈あんそくにち〉にさへも主〈しゆ〉たるものである 第三章 0301 イエスがまた會堂〈くわいだう〉にお入〈はい〉りなされたところが一手〈かたて〉拈〈なへ〉たものがありました 0302 人々〈ひとびと〉はイエスを訟〈うつた〉へやうとおもつてこの人〈ひと〉を安息日〈あんそくにち〉にお醫〈いや〉しなさるかどうかと窺〈うかが〉つて居〈をり〉ました 0303 イエスは手〈て〉の拈〈なへ〉たものに中〈なか〉に立〈たて〉とおふせられ 0304 また人々〈ひとびと〉にむかつて安息日〈あんそくにち〉には善〈よ〉いことをなすのと惡〈わる〉いことをなすのと生〈いき〉たものを救〈たす〉けるのと殺〈ころ〉すのとどちらがなすべきことであるかとおふせられたればひとびとは默〈だまつ〉てをりました 0305 イエスは怒〈いかり〉をふくんでみまはしそのものどもの心〈こころ〉の頑硬〈かたくな〉なるをお憂〈うれ〉ひなされて手〈て〉の拈〈なへ〉た人〈ひと〉になんぢの手〈て〉を伸〈のべ〉よとおふせられますとそのものは手〈て〉を伸〈のば〉すとすぐに他〈ほか〉の手〈て〉のやうに愈〈いえ〉ました 0306 パリサイの人〈ひと〉はそこを出〈で〉てどうかしてイエスを殺〈ころ〉そうとおもつてすぐにヘロデの黨〈ともがら〉に相談〈そうだん〉いたしました ○ 0307 イエスがお弟子〈でし〉たちとともに海邊〈うみべ〉へお退〈しり〉ぞきなされたところがおほくのひとがガリラヤよりしたがひましたまたユダヤ 0308 エルサレム イドマヤ ヨルダンのむかふまたツロとシドンのほとりから多〈おほ〉くの人々〈ひとびと〉がイエスの爲〈な〉されたことを聞〈きい〉てむらがり來〈き〉ました 0309 イエスはひとびとのおほぜいのために擁〈おし〉なやまされぬやうに小舟〈こぶね〉をわがためにそなへおけとお弟子〈でし〉におふせられました 0310 これはイエスが數多〈あまた〉のひとびとをお愈〈いや〉しなされたによつてすべて病〈やまひ〉あるものが手〈て〉でイエスに捫〈さはら〉ふとしておしよせたからでござります 0311 また汚〈けがれ〉た鬼〈おに〉がイエスを見〈み〉てその前〈まへ〉に俯伏〈ひれふし〉てさけんであなたは神〈かみ〉の子〈こ〉でござりますとまをしたのを 0312 イエスは彼等〈かれら〉にわれを揚〈あらは〉すことなかれときびしくお禁〈いまし〉めなされました ○ 0313 イエスは山〈やま〉におのぼりなされてその心〈こころ〉に適〈かなふ〉ふ〔「ふ」衍字〕ものをおよびなされましたればそのものどもがまゐりました 0314 そこで十二人〈にん〉を立〈たて〉て御自分〈ごじぶん〉とともにおおきなされまた教〈をしへ〉を宣〈の〉べつたへるためにつかはし 0315 かつ病〈やまひ〉を愈〈いや〉し鬼〈おに〉をおひだすの權〈ちから〉をお授〈さづけ〉なされました 0316 そうしてシモンをペテロと名〈なづ〉け 0317 ゼベダイの子〈こ〉ヤコブとその兄弟〈きようだい〉ヨハネとこの二人〈ふたり〉をボアネルゲとお名〈なづ〉けなされましたこれを譯〈とけ〉ば雷鳴〈かみなり〉の子〈こ〉といふことでござります 0318 またアンデレ ピリポ バルトロマイ マタイ トマス アルバヨの子〈こ〉ヤコブ タツダイ カナンのシモン 0319 またイスカリオテのユダこれはイエスを賣〈わた〉したものでござります 0320 これらのものが家〈いへ〉に入〈はい〉りましたが多〈おほく〉の人々〈ひとびと〉がまた集〈あつまり〉きて食事〈しよくじ〉をする暇〈ひま〉もござりませんでありました 0321 その親屬〈しんぞく〉が聞〈きい〉て彼〈あれ〉は氣〈き〉が狂〈ちが〉つたといつて捕〈とら〉へにきました 0322 またエルサレムから下〈くだ〉つた學者〈がくしや〉たちもあれはベルゼブルにつかれて鬼〈おに〉の王〈かしら〉によつて鬼〈おに〉をおひいだすのであるとまをしました 0323 そこでイエスがそのひとびとを呼〈よん〉で譬〈たとへ〉をひいておふせられますにどうしてサタンがサタンを逐出〈おひい〉だすことができるか 0324 もし國〈くに〉が内分〈うちわれ〉をして爭〈あらそ〉うならばその國〈くに〉は立〈たつ〉ことが出來〈でき〉ぬ 0325 もしまた家〈いへ〉が内分〈うちわれ〉をして爭〈あらそ〉うならばその家〈いへ〉は立〈たつ〉ことが出來〈でき〉ぬ 0326 もしサタンがおのれに悖〈もとり〉立〈たつ〉てわかれあらそうならばサタンは立〈たつ〉ことが出來〈でき〉ずに終〈をは〉るであらう 0327 誰〈だれ〉でも勇士〈つよいもの〉の家〈いへ〉にはいつてその家具〈どうぐ〉をうばひとらふとおもはばまづその勇士〈つよいもの〉を縛〈しば〉らねばうばひとることは出來〈でき〉ぬそれを縛〈しば〉つてからその家〈いへ〉をうばひとるであらう 0328 われまことに汝〈なんぢ〉曹〈ら〉にいふ人〈ひと〉のすべての罪〈つみ〉と瀆〈けが〉すところのけがれは赦〈ゆる〉されるが 0329 聖靈〈きよきみたま〉をけがすものは决〈けつ〉してゆるされぬ屹度〈きつと〉限〈かぎり〉なき刑罰〈けいばつ〉に干〈あづか〉るであらう 0330 かく仰〈おふ〉せられたのはひとびとがイエスは惡鬼〈あくき〉につかれたと申〈まを〉したからでござります 0331 その兄弟〈きやうだい〉と母〈はは〉が來〈き〉て外〈そと〉にたつて人〈ひと〉をつかはしてイエスをよばせました 0332 おほくの人々〈ひとびと〉がイエスのまはりにすはつて居〈を〉つて御覽〈ごらん〉なさいお母〈かか〉さんと御〈ご〉兄弟〈きやうだい〉たちがそとにたつてあなたをたづねておゐでなさりますとまをしたれば 0333 イエスはこたへてわが母〈はは〉わが兄弟〈きやうだい〉とは誰〈だれ〉のことであるとおふせられて 0334 まはりに坐〈すは〉つて居〈を〉るひとびとをみまはしておふせられますにはわが母〈はは〉をみよわが兄弟〈きやうだい〉をみよ 0335 すべて神〈かみ〉の旨〈むね〉にしたがふものはすなはちわが兄弟〈きやうだい〉わか姉妹〈しまい/あねいもと〔左右両ルビ〕〉わが母〈はは〉であるぞとおふせられました 第四章 0401 イエスがまた海濱〈うみべ〉で教〈をしへ〉をおはじめなされたところがおほくの人々〈ひとびと〉が集〈あつ〉まつてまゐりましたからイエスは舟〈ふね〉に乘〈のつ〉てお坐〈すは〉りなされおほくの人々〈ひとびと〉はみな海〈うみ〉にそふて岸〈きし〉に立〈たち〉ました 0402 イエスは譬〈たとへ〉をもつてその人々〈ひとびと〉におほくのことをお教〈をし〉へなされてその教〈をしへ〉のうちにおふせられますには 0403 聽〈き〉け種〈たね〉播〈まく〉ものが播〈まき〉に出〈で〉て 0404 播〈まい〉たときにある種〈たね〉は路傍〈みちばた〉におちたが空〈そら〉の鳥〈とり〉がきてこれを食〈くつ〉た 0405 ある種〈たね〉は土〈つち〉のうすい磽地〈いしぢ〉におちたが土〈つち〉がふかくないからすぐに萠〈はえ〉出〈で〉たが 0406 日〈ひ〉が出〈で〉たれば曝〈や〉かれ根〈ね〉ないから枯〈かれ〉た 0407 ある種〈たね〉は棘〈いばら〉のなかにおちたが棘〈いばら〉がそだつてこれを蔽〈ふさ〉いだから實〈み〉をむすばなんだ 0408 またある種〈たね〉は沃壤〈よいち〉におちたがその苗〈なへ〉がはえ出〈で〉て蕃〈はびこ〉りあるひは三十倍〈ばい〉あるひは六十倍〈ばい〉あるひは百倍〈ばい〉の實〈み〉をむすんだ 0409 また耳〈みみ〉あつて聽〈きこ〉えるものはきけとおふせられました ○ 0410 人々〈ひとびと〉の居〈をら〉ぬときイエスのお側〈そば〉に居〈をつ〉たものと十二弟子〈でし〉とがこの譬〈たとへ〉を尋〈たづ〉ねましたれば 0411 そのものどもに仰〈おふ〉せられますには汝曹〈なんぢら〉には神〈かみ〉の國〈くに〉の奧義〈おくぎ〉を知〈し〉ることを賜〈たま〉はつたが他〈ほか〉のものにはすべて譬〈たとへ〉をもつてせらるるのである 0412 それはかれらが視〈みる〉ときに視〈み〉てもみず聽〈き〉くときにきいても悟〈さとら〉ず心〈こころ〉をあらためて罪〈つみ〉のゆるしをうけぬためである 0413 またおふせらるるにはなんぢらこの譬〈たとへ〉を知〈し〉らぬかさらばどうしてすべての譬〈たとへ〉をしることができるか 0414 播者〈まくもの〉とは教〈をしへ〉をまくことである 0415 みちばたに教〈をしへ〉のまかれたとは教〈をしへ〉をきいたときにすぐにサタンがきてその心〈こころ〉にまかれた教〈をしへ〉をうばひとるといふことである 0416 また磽地〈いしぢ〉にまかれたものとは教〈をしへ〉をきくときにすぐによろこんでこれをうける 0417 けれどもおのれに根〈ね〉がないゆゑただ暫時〈ざんじ〉のことであるそうして道〈みち〉のために難儀〈なんぎ〉か迫害〈くるしみ〉にあふときはたちまち礙〈つまづく〉もののことである 0418 また棘〈いばら〉の中〈なか〉にまかれたものとは教〈をしへ〉を聞〈きい〉ても 0419 この世〈よ〉のこころづかひと貨財〈たから〉の惑〈まどひ〉とさまざまの情欲〈じようよく〉がはいつてきて教〈をしへ〉をふさぐゆゑにとうとう實〈み〉をむすばぬものというふことである 0420 沃壤〈よいち〉にまかれたものとは教〈をしへ〉をきひてそれをうけあるひは三十倍〈ばい〉あるひは六十倍〈ばい〉あるひは百倍〈ばい〉の實〈み〉をむすぶものというふことである ○ 0421 またおふせられますには燈〈ともしび〉を持〈もつ〉て來〈き〉て斗〈ます〉の下〈した〉や床〈とこ〉の下〈した〉におくものがあるか燭臺〈しよくだい〉の上〈うへ〉におきはせぬか 0422 隱〈かく〉れて顯〈あきら〉かにならぬものはなく藏〈つつん〉で露〈あら〉はれぬものはない 0423 耳〈みみ〉あつて聽〈きこ〉えるものはきけ 0424 またその人々〈ひとびと〉におふせられますにはなんぢら聽〈きく〉ところを愼〈つつ〉しめなんぢらが度〈はか〉るところの量〈はかり〉をもつてなんぢらも度〈はか〉られるであらう聽〈き〉くなんぢらにはなほ加〈くは〉へられるであらう 0425 なぜなれば有〈もて〉るものにはなほ與〈あた〉へられ有〈もた〉ぬものはもつてゐるものまでもとられるであらう ○ 0426 またおふせられますには神〈かみ〉の國〈くに〉は人〈ひと〉が種〈たね〉を地〈ち〉にまくやうなものである 0427 夜日〈よるひる〉おきふしするうちに種〈たね〉ははえてそだつがどういふ譯〈わけ〉であるかしれぬ 0428 全体〈ぜんたい〉地〈ち〉はおのづから實〈み〉をむすぶもので初〈はじ〉めには苗〈なへ〉が出〈で〉つぎには穗〈ほ〉が出〈で〉穗〈ほ〉のなかに熟〈じゆく〉した實〈み〉が出來〈でき〉る 0429 もはや實〈み〉がいれば穫〈かる〉ときが來〈き〉たによつてすぐに鎌〈かま〉を入〈い〉れさせるのである ○ 0430 またおふせられますには神〈かみ〉の國〈くに〉は何〈なに〉になぞらへ何〈なに〉の譬〈たとへ〉をもつてたとへやうか 0431 まづ一粒〈ひとつぶ〉の芥種〈からしだね〉のやうなものであるこれを地〈ち〉にまくときには萬〈よろづ〉のたねよりもちひさいが 0432 播〈まい〉てから萠〈はえ〉出〈で〉ればよろづの野菜〈やさい〉よりは大〈おほ〉きくかつおほきい枝〈えだ〉が出〈で〉て空〈そら〉の鳥〈とり〉がその蔭〈かげ〉に棲〈す〉むほどになる ○ 0433 イエスは人々〈ひとびと〉が聞〈きく〉ことのできるだけおほくのこのやうな譬〈たとへ〉をもつて教〈をしへ〉をおのべなされ 0434 譬〈たとへ〉でなければ人々〈ひとびと〉におかたりなされませんでありましたがお弟子〈でし〉たちばかり居〈ゐ〉たときにはすべてのことを解〈とい〉ておきかせなさりました ○ 0435 さてその日〈ひ〉の夕〈くれ〉がたイエスはお弟子〈でし〉たちに向〈むかふ〉の岸〈きし〉へ渡〈わた〉れとおふせられましたから 0436 お弟子〈でし〉たちはひとびとを歸〈かへ〉らせイエスが舟〈ふね〉におゐでなされたのをそのままお供〈とも〉をして渡〈わた〉りましたまたほかの小舟〈こぶね〉もいつしよに參〈まゐ〉りました 0437 時〈とき〉に大風〈おほかぜ〉がおこつてきて浪〈なみ〉がうちこみやがて舟〈ふね〉に滿〈みつ〉るばかりになりました 0438 イエスは艄〈とも〉の方〈はう〉に枕〈まくら〉をして寢〈ねふ〉つておゐでなされましたがお弟子〈でし〉たちが起〈おこ〉してまをしますに先生〈せんせい〉は私共〈わたくしども〉が溺〈おぼ〉れてもおかまひなさりませんか 0439 イエスはおきて風〈かぜ〉を戒〈いま〉しめまた海〈うみ〉に靜〈しづま〉りておだやかになれとおふせられますと風〈かぜ〉はやんでたいそう穩〈をだやか〉になりました 0440 そうしてかれらにおふせられますには何〈なぜ〉そのやうに恐〈おそれ〉るかなんぢらはなぜ信仰〈しんかう〉がないか 0441 お弟子〈でし〉たちはたいさうおそれてたがひにこれはどういふ人〈ひと〉であらう風〈かぜ〉と海〈うみ〉でさへも從〈したが〉ふとまをしました 第五章 0501 海〈うみ〉を渡〈わた〉つてつひにガダラ人〈びと〉の地〈ち〉につき 0502 舟〈ふね〉からイエスがお上〈あが〉りなされたとき一人〈ひとり〉の惡鬼〈あくき〉につかれたものがすぐに墓場〈はかば〉から出〈で〉てあひました 0503-0504 このひとははかばを居處〈すまゐ〉にいたして居〈をり〉ましてたびたび桎梏〈あしがせ〉と鏈〈くさり〉で繋〈つない〉でも鏈〈くさり〉をきり桎梏〈あしがせ〉をこはすものゆゑだれもこれをつなぎえるものもなく制〈せい〉しえるものもなく 0505 夜〈よる〉も晝〈ひる〉も始終〈しじゆう〉山〈やま〉と墓場〈はかば〉に居〈をつ〉て叫〈さけ〉んだり石〈いし〉をもつておのれの身〈み〉に痍〈きづ〉をつけたりして居〈をり〉ました 0506 このものがはるかにイエスをみて馳〈はし〉つて來〈き〉て拜〈をが〉み 0507 大聲〈おほごゑ〉をだしてまをしますには至上〈いとたかき〉神〈かみ〉の子〈こ〉イエスよ私〈わたくし〉はあなたとなんの關〈かか〉はりがありますか神〈かみ〉によつて願〈ねが〉ひますどうぞわたくしをくるしめてくださるな 0508 イエスが惡鬼〈あくき〉にむかつて人〈ひと〉より出〈で〉ろとおふせられましたからかく申〈まを〉したのでござります 0509 イエスはかのものに名〈な〉はなにといふかとおたづねなされましたればこたへて わたくしどもはおほぜいだからわたくしの名〈な〉をレギヨンとまをしますといつて 0510 頻〈しきり〉にこの土地〈とち〉からわたくしどもを逐〈おひ〉出〈いだ〉してくださるなとイエスに願〈ねが〉ひました 0511 さてここにおほくの豕〈ぶた〉の群〈むれ〉が山〈やま〉に草〈くさ〉を食〈くら〉ふて居〈をり〉ましたが 0512 惡鬼〈あくき〉がみな願〈ねが〉つてわたくしどもを遣〈やつ〉て豕〈ふた〉にはいらせてくださいといひますから 0513 イエスはすぐにお許〈ゆる〉しなされましたそこで汚〈けが〉れた鬼〈おに〉がその人〈ひと〉から出〈で〉て豕〈ぶた〉に入〈はい〉りましたればおほよそ二千〈せん〉匹〈びき〉ほどの群〈むれ〉がはげしくかけくだつて山坡〈かげ〉から海〈うみ〉におちて海〈うみ〉におぼれてしまいました 0514 豕〈ぶた〉を牧〈か〉ふ者〈もの〉が遁〈にげて〉行〈いつ〉てこのことを邑〈まち〉や村々〈むらむら〉で話〈はな〉しましたればひとびとそのあつたことを見〈み〉に出〈で〉て 0515 イエスのところへきて惡鬼〈あくき〉につかれてレギヨンをもつて居〈ゐ〉た人〈ひと〉が衣服〈きもの〉をきて正氣〈しやうき〉で坐〈すは〉つて居〈を〉るのをみておそれあひました 0516 このことを見〈み〉たものどもが惡鬼〈あくき〉につかれたもののことと豕〈ぶた〉のことをはなしましたれば 0517 イエスにそのところをお去〈さり〉なさることを願〈ねが〉ひはじめました 0518 イエスが舟〈ふね〉におのりなされるとき惡鬼〈あくき〉につかれたものがイエスととに居〈をり〉たいとねがひましたが 0519 イエスはおゆるさしなされずに汝〈なんぢ〉の家〈いへ〉に歸〈かへ〉り親屬〈しんぞく〉のものに行〈いつ〉て主〈しゆ〉のなんぢになされた大〈おほい〉なることとなんぢを憐〈あは〉れみたまふたことをはなせとおふせられました 0520 かのものは行〈いつ〉てイエスのおのれになしてくだされた大〈おほい〉なることをデカポリスにいひふらしましたれば人々〈ひとびと〉みなおどろきました ○ 0521 イエスが舟〈ふね〉に乘〈のつ〉てまた海〈うみ〉の向岸〈むかふきし〉へお渡〈わた〉りなされたところが大勢〈おほぜい〉のひとびとがあつまつてまゐりましたイエスは海〈うみ〉ばたにおゐでなされました 0522 さてそこへ會堂〈くわいだう〉の宰〈つかさ〉ヤイロといふものがきてイエスをみてその足下〈あしもと〉にふし 0523 一心〈いつしん〉に願〈ねがつ〉てまをしますには私〈わたくし〉のちひさい女〈むすめ〉が死〈し〉ぬばかりでごさりますどうぞ救〈すくひ〉においでなされてお手〈て〉をお按〈おき〉くださりましそうすれば女〈むすめ〉は生〈いき〉ませうとまをしました 0524 イエスがかのものとともにおいでなさるとき大勢〈おほぜい〉のひとがしたがつて擁〈おし〉あひました 0525 さて十二年〈ねん〉血漏〈ちろう〉をわづらつた婦〈をんな〉がありました 0526 この婦〈をんな〉はおほくの醫者〈いしや〉のためにひどくくるしめられ身代〈しんだい〉も遺〈のこ〉らずつひやしましたけれども何〈なん〉の甲斐〈かい〉もなくかへつて惡〈わる〉くなりましたが 0527 イエスのことをきいて群集〈ぐんじふ〉の中〈なか〉からイエスの後〈うしろ〉へ來〈き〉てお衣服〈めしもの〉にさはりました 0528 それはただお衣服〈めしもの〉にさはつたばかりでも愈〈たす〉かると思〈おも〉つたからそうしたのでござります 0529 捫〈さは〉るとすぐに血〈ち〉のもるのがとまつてもはや病〈やまひ〉が愈〈いえ〉たことをその身〈み〉におほえました 0530 イエスはみづから能力〈ちから〉のおん身〈み〉より出〈で〉たことをお知〈しり〉なされておほぜいの人々〈ひとびと〉を顧〈かへ〉りみてわが衣服〈きもの〉にさはつたものはだれであるとおふせられました 0531 お弟子〈でし〉たちがまをしますにはこの大勢〈おほぜい〉のひとのおしあふなかでわれにさはつたものは誰〈だれ〉であるかとおふせられますか 0532 イエスはこのことを爲〈し〉た婦〈をんな〉をみやうとおぼしめして側〈あたり〉を御覽〈ごらん〉なされると 0533 その婦〈をんな〉はおそれ戰慄〈をののいて〉おのれの身〈み〉になさられたことをしつてその前〈まへ〉へ來〈き〉て俯伏〈ひれふし〉てことごとく白状〈はくじやう〉いたしました 0534 イエスはそのものに女〈むすめ〉よなんぢの信仰〈しんかう〉がなんぢをすくつた安然〈やすらか〉に行〈ゆけ〉なんぢのやまひは愈〈なほ〉るとおふせられました ○ 0535 イエスがこのことをおふせられますうちに會堂〈くわいだう〉の宰〈つかさ〉の家〈うち〉から來〈き〉てまをしますにはお娘〈むすめ〉ごはもうお死〈しに〉なされましたのに何〈なぜ〉先生〈せんせい〉に御苦勞〈ごくろう〉をおかけなさりますか 0536 イエスはすぐにその話〈はな〉すことを聞〈きい〉て會堂〈くわいだう〉のつかさにおふせられますには恐〈おそ〉れるなただ信〈しん〉ぜよ 0537 イエスはペテロとヤコブとその兄弟〈きやうだい〉ヨハネのほかはだれもともに行〈いく〉ことをおゆるしなさりませんでありました 0538 會堂〈くわいだう〉の宰〈つかさ〉の家〈いへ〉においでなさるとひとびとが騒〈さわぎ〉立〈たて〉ていたくなきさけんで居〈ゐ〉るのを御覽〈ごらん〉なされ 0539 内〈うち〉に入〈いつ〉てその人々〈ひとびと〉におふせられますになぜそのやうに騒〈さは〉ぎたててなくか女〈むすめ〉は死〈し〉んだのではないただ寢〈ね〉たのである 0540 そのひとびとはイエスを哂笑〈あざわらひ〉ましたがイエスはひとをみな外〈そと〉へ出〈だ〉して女〈むすめ〉の父母〈ちちはは〉とお從〈つき〉まをしたものどもを引〈ひき〉つれて女〈むすめ〉の臥〈ふし〉てをるところへおはいりなされ 0541 女〈むすめ〉の手〈て〉をとつて「タリタクミ」とおふせられましたこれを譯〈とけ〉ば女〈むすめ〉よわれ汝〈なんぢ〉に命〈めい〉ず起〈おき〉よといふことでござります 0542 そこで女〈むすめ〉は直〈すぐ〉におきて行〈ある〉きました年〈とし〉は十二才〈さい〉でござります人々〈ひとびと〉はひどくおどろきました 0543 イエスはこのことを人〈ひと〉に知〈し〉らせるなときびしくお戒〈いま〉しめなされまた女〈むすめ〉に食物〈たべもの〉をやれとお命〈めい〉じなされました 第六章 0601 さてイエスはここを去〈さつ〉て故郷〈ふるさと〉へおいでなされましたがお弟子〈でし〉たちも從〈したが〉ひました 0602 安息日〈あんそくにち〉になりましたから會堂〈くわいだう〉で教〈をしへ〉をお始〈はじ〉めなされると人々〈ひとびと〉がそれを聽〈きい〉て奇〈あやし〉んでまをしますにはどうしてこの人〈ひと〉にこんな事〈こと〉があるのであろう誰〈だれ〉からこの智慧〈ちゑ〉をうけてこんな不思議〈ふしぎ〉な事〈わざ〉もあの手〈て〉でするであらう 0603 全体〈ぜんたい〉彼〈あれ〉は木匠〈だいく〉ではないかマリアの子〈こ〉ヤコブ ヨセ ユダとシモンの兄弟〈きやうだい〉でその姉妹〈あねいもうと〉もここに我々〈われわれ〉といつしよに居〈ゐる〉ではないかといつてイエスに礙〈つまづ〉きました 0604 そこでイエスが人々〈ひとびと〉におふせられますには預言者〈よげんしや〉はその故郷〈ふるさと〉とその親類〈しんるい〉その家〈いへ〉のほかでは尊〈たふと〉まれぬことはない 0605 イエスはこのところでは病人〈びやうにん〉に手〈て〉をつけてただ數人〈すにん〉をお愈〈いや〉しなされたばかりでそのほかには不思議〈ふしぎ〉な事〈わざ〉をなさることが出來〈でき〉ませんでありました 0606 またその信〈しん〉ぜぬのを不思議〈ふしぎ〉におぼしめしましたそうして村々〈むらむら〉を經〈へ〉巡〈めぐ〉つて教〈をしへ〉をなされました ○ 0607 イエスは十二の弟子〈でし〉をおよびなされ二人〈ふたり〉づつ遣〈つかは〉しはじめ惡鬼〈あくき〉を逐〈おひ〉出〈だす〉ちからをさづけ 0608 またいひつけておふせられますには一〈ひとつ〉の杖〈つゑ〉のほかは旅〈たび〉の用意〈ようい〉に何〈なに〉ももつて行〈ゆく〉な旅袋〈たびぶくろ〉も食物〈くひもの〉も金〈かね〉も持〈もた〉づに 0609 ただ履〈くつ〉をはいて衣服〈きもの〉もふたつ着〈き〉て行〈ゆく〉な 0610 またおふせられますには何處〈どこ〉でもひとの家〈いへ〉に入〈はい〉らばそのところを去〈さ〉るまではそこに居〈を〉れ 0611 すべて汝〈なんぢ〉曹〈ら〉をうけずなんぢらに聽〈きか〉ぬものにはそこをさるとき証據〈しようこ〉のために足〈あし〉の下〈した〉の塵〈ちり〉を拂〈は〉らへわれまことになんぢらつぐ審判〈さばき〉の日〈ひ〉にはソドムとゴモラはこの邑〈まち〉よりもかへつて心〈こころ〉易〈やす〉いであらう 0612 お弟子〈でし〉たちは出〈で〉てひとびとに悔〈くい〉改〈あらた〉むべきことを教〈おしへ〉 0613 またおほくの惡鬼〈あくき〉をおひだしまたおほくの病人〈びやうにん〉に膏〈あぶら〉をつけてなほしました 0614 イエスの名〈な〉がひろまりましたればヘロデ王〈わう〉はこれを聞〈きい〉てバプテスマのヨハネが甦〈よみがへ〉つたから不思議〈ふしぎ〉なわざをするのであるとまをしました 0615 或〈ある〉人〈ひと〉はエリヤであるといひあるひとは昔〈むかし〉の預言者〈よげんしや〉のやうな預言者〈よげんしや〉であるといふものもありました 0616 ヘロデは聞〈きい〉てこれはわがその首〈くび〉斬〈きつ〉たところのヨハネである彼〈あれ〉が甦〈よみがへ〉つたのであるとまをしました 0617 なぜといふにさきにヘロデはその兄弟〈きやうだい〉ピリポの妻〈つま〉ヘロデヤのことによつて人〈ひと〉をつかはしてヨハネを召捕〈めしとつ〉て獄〈ろうや〉に入〈い〉れましたそれはヘロデがその婦〈をんな〉をめとつたのを 0618 ヨハネが戒〈いましめ〉て兄弟〈きやうだい〉の妻〈つま〉を入〈いれ〉るはよろしくないとまをしたからでござります 0619 ヘロデヤはヨハネを怨〈うら〉んで殺〈ころ〉そうとおもひましたがそふいふわけには行〈ゆか〉ずに居〈をり〉ました 0620 ヘロデはヨハネをうやまひまた保護〈まもり〉そのいふことを聞〈きい〉ておほくのことをおこなひかつ喜〈よろこ〉んでそのいふことをききました 0621 しかるにヘロデはその誕生日〈たんじやうび〉にもろもろ位〈くらゐ〉たかき人〈ひと〉と千人〈せんにん〉の長〈かしら〉とガリラヤの貴〈たふ〉とき人々〈ひとびと〉にふるまひをする好〈よい〉機會〈をり〉がきましたから 0622 ヘロデヤの女〈むすめ〉が來〈き〉て舞〈まひ〉をまひヘロデとその席〈せき〉につらなつた人々〈ひとびと〉を樂〈たの〉しませましたそこで王〈わう〉はその女〈むすめ〉にまをしますには何〈なん〉でも我〈われ〉に願〈ねが〉へなんぢの望〈のぞみ〉どほりにしてつかはそう 0623 また誓〈ちかつ〉てなんでもなんぢが求〈もと〉めるものはわが領分〈りやうぶん〉の半分〈はんぶん〉まではなんぢにやらうとまをしました 0624 女〈むすめ〉は出〈で〉てその母〈はは〉になにを願〈ねが〉ひませうかといひましたれば母〈はは〉はバプテスマのヨハネの首〈くび〉とまをしました 0625 女〈むすめ〉はすぐに急〈いそ〉いで王〈わう〉のところへきてどうぞバプテスマのヨハネの首〈くび〉を盆〈ぼん〉にのせていますぐに私〈わたくし〉にくださいませとまをしました 0626 王〈わう〉ははなはだうれひましたがさきに誓〈ちか〉つたこともありかつは同席〈どうせき〉のものの前〈まへ〉もあつていやとはいえず 0627 すぐにヨハネの首〈くび〉をもつて來〈こい〉といひつけて兵卒〈へいそつ〉をつかはしましたれば兵卒〈へいそつ〉はいつて獄〈ろう〉で斬〈きり〉殺〈ころ〉し 0628 その首〈くび〉を盆〈ぼん〉にのせもつてきて女〈むすめ〉にやりました女〈むすめ〉はそれをその母〈はは〉にやりました 0629 ヨハネの弟子〈でし〉たちはこのこときき來〈き〉てその屍〈しがい〉をとつて墓〈はか〉に葬〈はうむ〉りました ○ 0630 使徒〈しと〉たちはイエスのところへ集〈あつま〉つてその行〈おこな〉つたことと教〈をしへ〉たことをのこらず告〈つげ〉ました 0631 イエスはなんぢら人々〈ひとびと〉をさけて我〈われ〉とともにしばらく寂寞〈さびしい〉ところへ行〈いつ〉て休〈やす〉めとおふせられましたこれは往來〈ゆきき〉のひとがおほくて食事〈しよくじ〉をするひまもないからでごさります 0632 つひに人〈ひと〉をさけて舟〈ふね〉に乘〈のつ〉てさびしいところへまゐりました 0633 その行〈ゆく〉ところをみてひとびとはおほくイエスをしつて村々〈むらむら〉から徒〈かち〉ではしつてその行〈ゆか〉うとするところへ先〈さき〉にゆいてイエスのところへあつまりました ○ 0634 イエスは出〈で〉ておほぜいの人〈ひと〉をご覽〈らん〉なされますに牧者〈かひて〉のない羊〈ひつじ〉のやうな有樣〈ありさま〉なるによつて不憫〈ふびん〉におぼしめして樣々〈さまざま〉のことをお教〈をし〉へはじめなさりました 0635 その日〈ひ〉もはや暮〈くれ〉かかりましたときお弟子〈でし〉たちが來〈き〉てまをしますにはここは寂寞〈さびしい〉ところではあるし時刻〈じこく〉ももう晩〈おそう〉ござりますが 0636 人々〈ひとびと〉のたべるものがござりませんから自分〈じぶん〉であたりの村里〈むらさと〉へいつてパンを買〈かふ〉ためにおつかはしなさりませ 0637 イエスは汝〈なんぢ〉らこれに食〈たべ〉させよとおふせられましたお弟子〈でし〉たちがまをしますには私〈わたくし〉どもは銀〈ぎん〉二百〈にひやく〉ほどものパンをかつてきてやつて食〈たべ〉させませうか 0638 イエスがおふせられますにはパンは幾個〈いくつ〉あるかいつて見〈み〉ろお弟子〈でし〉たちはみてその數〈かず〉を知〈しつ〉て五〈いつ〉つのパンと二〈ふた〉つの魚〈うを〉がありますとこたへました 0639 イエスは人〈ひと〉をみんな組々〈くみくみ〉にして青草〈あをくさ〉の上〈うへ〉にすはらせよとおふせられましたから 0640 あるひは百〈ひやく〉人〈にん〉あるひは五十〈ごじゆう〉人〈にん〉づつ並〈なら〉んで坐〈すは〉りました 0641 イエスはその五〈いつ〉つのパンと二〈ふた〉つの魚〈うを〉を取〈とつ〉て天〈てん〉を仰〈あふ〉ぎ謝〈しや〉してパンをわりお弟子〈でし〉たちにあたへてひとびとの前〈まへ〉におかせまた二〈ふた〉つの魚〈うを〉を人〈ひと〉ごとにわけておあたへなされました 0642 ひとびとはみなたべて飽〈あき〉 0643 そのパンと魚〈うを〉の屑〈くづ〉をひろつたところが十二の筐〈かご〉にいつぱいになりました 0644 そのパンをたべた男〈をとこ〉はおよそ五千〈ごせん〉人〈にん〉でござりました ○ 0645 すぐにイエスはお弟子〈でし〉たちを強〈しひ〉て舟〈ふね〉にのせ向〈むか〉ふの岸〈きし〉のベツサイダへまづわたらせご自分〈じぶん〉はひとびとをおかへしなされました 0646 ひとびとを歸〈かへ〉してのち祈〈いのり〉のために山〈やま〉へおいでなされました 0647 日〈ひ〉が暮〈く〉れて舟〈ふね〉は海〈うみ〉のなかにありイエスはひとり陸〈おか〉におゐでなされました 0648 向風〈むかふかぜ〉のために弟子〈でし〉たちが舟〈ふね〉を掉〈こぐ〉のに勞〈つか〉れたのを御覽〈ごらん〉なされて曉〈あかつき〉の四時〈よじ〉ころイエスは海〈うみ〉の上〈うへ〉を履〈ある〉いておいでなされて彼等〈かれら〉を通〈とほ〉りこさうとなされると 0649 弟子〈でし〉たちはその海〈うみ〉をおあるきなさるのを見〈み〉て化物〈ばけもの〉だとおもつて叫〈さけ〉びました 0650 弟子〈でし〉たちはみなそれを見〈み〉ておそれたからでござりますイエスはすぐにお弟子〈でし〉たちに安心〈あんしん〉せよ我〈われ〉であるおそれるなとおふせられて 0651 舟〈ふね〉にお登〈のぼ〉りなさると風〈かぜ〉はやみましたみな心〈こころ〉の中〈なか〉にひどくおどろいてあやしみました 0652 それというはその心〈こころ〉が愚頑〈にぶく〉てパンの不思議〈ふしぎ〉もさとらぬからでござります ○ 0653 渡〈わた〉つてからゲネサレといふ地〈ち〉にいつて舟〈ふね〉を岸〈きし〉につけ 0654 舟〈ふね〉から出〈で〉るとやがて人々〈ひとびと〉イエスを知〈しつ〉て 0655 そのあたりを遺〈のこ〉らずかけまはつて病人〈びやうにん〉を床〈とこ〉のままかついでイエスのおゐでなさるところどころをききだしてまゐりました 0656 何處〈どこ〉でもイエスのおゐでなさるところは村〈むら〉でも邑〈まち〉でも郷〈さと〉でもその街市〈いちば〉へ病人〈びやうにん〉を置〈おい〉てお衣服〈めしもの〉の裾〈すそ〉にでもさはらせてくださいとねがひましたそうして捫〈さは〉るほどのものはみな愈〈なほ〉りました 第七章 0701 パリサイの人〈ひと〉とある學者〈がくしや〉たちがヱルサレムから來〈き〉てイエスのもとにあつまりました 0702 お弟子〈でし〉たちのうちに汚〈けが〉れた手〈て〉すなはち洗〈あらは〉ぬ手〈て〉でパンをたべるものがあるのをみてこれを責〈せめ〉ました 0703 何〈なぜ〉といふにパリサイのひととユダヤの人々〈ひとびと〉はみなむかしのひとの言傳〈いひつたへ〉をまもつてその手〈て〉をきよくあらはねばたべません 0704 また街市〈まち〉から歸〈かへ〉つて來〈き〉ても洗〈あら〉はねばたべませんそのほか盃〈さかづき〉や椀〈わん〉鍋〈なべ〉や床〈とこ〉をあらふなど樣々〈さまざま〉のいひつたへをうけまもりました 0705 そこでパリサイの人〈ひと〉と學者〈がくしや〉たちがイエスに問〈とひ〉ますにはあなたの弟子〈でし〉はどういふ譯〈わけ〉でむかしのひとのつたへにしたがはずにあらはずにパンをたべますか 0706 こたへておふせられますにはイザヤは僞善者〈ぎぜんしや〉のなんぢらをさしてよく預言〈よげん〉したことがあるその録〈しるし〉た言〈ことば〉にこの民〈たみ〉は唇〈くちびる〉にて我〈われ〉を敬〈うやま〉へどもその心〈こころ〉はわれに遠〈とほ〉ざかり 0707 人〈ひと〉の誡〈いましめ〉を敎〈をしへ〉となして徒〈いたづら〉にわれを拜〈をがむ〉むとある〔「む」衍字〕 0708 なんぢらは神〈かみ〉の誡〈いましめ〉を捨〈すて〉て人〈ひと〉の傳〈つたへ〉をまもるすなはち鍋〈なべ〉などをあらひいろいろそのやうなことをする 0709 またおふせられますにはなんぢらは實〈じつ〉に自己〈おのれ〉の傳〈つたへ〉をまもらうとしてよくも神〈かみ〉のいましめをすてるものである 0710 モーセはなんぢの父母〈ちゝはゝ〉を敬〈うやま〉へまた父〈ちち〉や母〈はは〉を詈〈ののし〉るものは殺〈ころさ〉るべしといつたが 0711 なんぢらはもし人〈ひと〉が父〈ちち〉や母〈はは〉にむかつてなんぢを養〈やしな〉ふべきものは「コルバン」すなはち供物〈そなへもの〉であるといひさへすれば事〈つかへ〉ぬでもよいといふ 0712 そうして人〈ひと〉がその父〈ちち〉や母〈はは〉のためになにもすることをゆるさぬ 0713 このとほりなんぢらはみづからをしへるところの傳〈つたへ〉によつて神〈かみ〉のことばをむなしくしまたおほくこの類〈たぐひ〉のことをなす ○ 0714 イエスまたひとびとをよんでおふせられますにはなんぢらみなわが言〈ことば〉をきいてさとれ 0715 外〈そと〉から人〈ひと〉に入〈い〉るものは人〈ひと〉を汚〈けが〉すことは出來〈でき〉ぬが人〈ひと〉よりでるものが人〈ひと〉を汚〈けが〉すのである 0716 聽〈きこ〉える耳〈みみ〉のあるものは聽〈き〉け ○ 0717 イエスが人々〈ひとびと〉をはなれて家〈いへ〉におはいりなされたときお弟子〈でし〉たちがたとへの意味〈こころ〉をとひましたれば 0718 おふせられますにはなんぢらもまだ悟〈さと〉らぬかなんでも外〈そと〉から人〈ひと〉に入〈い〉るものの人〈ひと〉を汚〈けが〉すことのできぬことを知〈し〉らぬか 0719 それは心〈こころ〉には入〈はい〉らぬ腹〈はら〉へはいつて厠〈しも〉へおちるそうして食〈くろ〉ふたものは清〈きよ〉められる 0720 人〈ひと〉より出〈で〉るものこそ人〈ひと〉をけがすものである 0721 ひとの心〈こころ〉から出〈で〉るものは惡念〈わるいおもい〉、姦淫〈かんいん〉、苟合〈かりそめのいろ〉、兇殺〈ひとごろし〉、 0722 盗竊〈ぬすみ〉、貪婪〈むさぼり〉、惡心〈あくしん〉、僞〈いつはり〉、好色〈いろこのみ〉、嫉妬〈ねたみ〉、謗讟〈そしり〉、驕傲〈たかぶり〉、狂妄〈おろかなこと〉 0723 これらの惡〈あし〉きことはみな内〈うち〉より出〈で〉てひとをけがすものである ○ 0724 イエスはここからツロとシドンの境〈さかひ〉においでなされ家〈いへ〉にはいつて人〈ひと〉にしられまいとおぼしめしたがお隱〈かくれ〉なさることが出來〈でき〉ませんでありました 0725 その譯〈わけ〉は惡鬼〈あくき〉につかれた幼〈わか〉い女〈むすめ〉をもつてをる婦〈をんな〉がイエスのことをきいて來〈き〉てその足下〈あしもと〉にひれふしたからでござります 0726 この婦〈むすめ〉はサイロ ビニシヤに生〈うま〉れたギリシヤのものでありましたが惡鬼〈あくき〉をその女〈むすめ〉よりおおひだしなさることをイエスにねがひました 0727 イエスはそのものにおふせられますにはまづ兒女〈こども〉に飽〈あか〉すべきことであるこどものパンをとつて犬に投〈なげ〉るはよろしくない 0728 婦〈をんな〉がこたへてまをしますには主〈しゆ〉のおふせのとほりでござりますが犬〈いぬ〉も案〈だい〉の下〈した〉にをつて兒女〈こども〉の遺屑〈たべくづ〉をたべます 0729 イエスが婦〈をんな〉におふせられますにはこの言〈ことば〉によつて歸〈かへ〉れ悪鬼〈あくき〉はなんぢの女〈むすめ〉から出〈で〉た 0730 をんなはその家〈いへ〉にかへりましたれば惡鬼〈あくき〉はもはや出〈で〉てむすめはその床〈とこ〉に臥〈ふし〉て居〈をる〉のをみました ○ 0731 イエスはツロとシドンの地〈ち〉をさつてデカポリスの地〈ち〉をとほつてガリラヤの海〈うみ〉へおいでなされました 0732 人々〈ひとびと〉聾〈つんぼ〉の訥〈ども〉るものをイエスのところへつれてきて手〈て〉をおつけなさることを願〈ねが〉ひましたれば 0733 イエスはひとびとをはなれてそのものを外〈そと〉につれて行〈いつ〉てその耳〈みみ〉に指〈ゆび〉をさしいれまた唾〈つばき〉をしてその舌〈した〉にさはり 0734 天〈てん〉を仰〈あふ〉きなげいて「エツパタ」とおふせられましたこれを譯〈とけ〉ばひらけといふことでござります 0735 すぐにその耳〈みみ〉がひらけ舌〈した〉の絡〈すち〉がゆるんで正〈ただ〉しくものをいひだしました 0736 イエスがこれを人〈ひと〉にいふなとお戒〈いまし〉めなされるとおいましめなさるほどなほいひふらしました 0737 ひとびとはひどくおどろいてまをしますにはこの人〈ひと〉のすることはみんな善〈よい〉ことである聾〈つんぼ〉を聽〈きこえ〉させたり唖者〈おふし〉をものいはせたりした 第八章 0801 その頃〈ころ〉あつまつたものが澤山〈たくさん〉ありましたが何〈なに〉も食〈たべ〉るものもがないからイエスがお弟子〈でし〉たちをよんでおふせられますには 0802 我〈われ〉はこの大勢〈おほぜい〉のひとびとをあはれむもはや三日〈みつか〉我〈われ〉とともに居〈をつ〉たから今〈いま〉なんにも食〈たべ〉るものがない 0803 もし飢〈うゑ〉たままその家〈いへ〉にかへすなら途〈みち〉でなやむであらうなかには遠方〈とほく〉からきたものもあるから 0804 お弟子〈でし〉たちがこたへてまをしますにはこの野〈の〉で何處〈どこ〉でパンを買〈かつ〉てこの人々〈ひとびと〉に飽〈あか〉せませうか 0805 イエスはパンがいくつあるかとおとひなされましたれば七〈なな〉つとこたへました 0806 イエスは人々〈ひとびと〉にいひつけて地〈ち〉に坐〈すわ〉らせその七〈なな〉つのパンをとり謝〈しや〉してそれをわり人々〈ひとびと〉の前〈まへ〉におくためにお弟子〈でし〉たちにおやりなさるとお弟子〈でし〉たちは人々〈ひとびと〉の前〈まへ〉におきました 0807 またちひさい魚〈うを〉がわづかばかりござりましたそれも祝〈しく〉して人々〈ひとびと〉のまへにおけとおふせられました 0808 ひとびとそれを食〈たべ〉て飽〈あき〉その屑〈くづ〉をひろつて七〈なな〉つの筐〈かご〉にいれました 0809 これをたべたものはおほよそ四千人でござりましたイエスはこれをおかへしなされました ○ 0810 イエスはすぐにお弟子〈でし〉たちとともに舟〈ふね〉にのつてダルマヌタの方〈ほう〉へおいでなされたところが 0811 パリサイの人〈ひと〉が出〈で〉てイエスをこころみるために天〈てん〉からの休徴〈しるし〉をもとめて詰〈なじ〉りはじめました 0812 イエスは心〈こころ〉のうちにふかくなげいておふせられますにはこの世〈よ〉の人〈ひと〉はなぜ休徴〈しるし〉をもとめるかわれまことになんぢらにつぐ休徴〈しるし〉はこの世〈よ〉のひとに必〈かな〉らすあたへられぬ 0813 イエスはその人々〈ひとびと〉をはなれてまた舟〈ふね〉にのつてむかふの岸〈きし〉へおわたりなされました ○ 0814 さてお弟子〈でし〉たちはパンをもつてくるのをわすれてただ一個〈ひとつ〉しかパンが舟〈ふね〉にありませんでありました 0815 イエスがお弟子〈でし〉たちをいましめておふせられますには氣〈き〉をつけてパリサイのひとの麪酵〈はんだね〉とヘロデの麪酵〈はんだね〉をつつしめ 0816 お弟子〈でし〉がたがひに論〈ろん〉じていひますにはこれはパンをもつてこぬゆゑであらう 0817 イエスはそれを知〈しつ〉ておふせられますにはなぜたがひにパンをもつてこぬことを論〈ろん〉ずるかまだ悟〈さと〉らぬかなんぢらのこころはまだ頑〈にぶ〉いか 0818 目〈め〉があつても視〈み〉へぬか耳〈みみ〉があつても聽〈きこえ〉ぬかまだ覺〈おぼえ〉ぬか 0819 わが四千人〔「五千人」の誤りか?〕に五〈いつ〉つのパンをわりあたへたときその屑〈くづ〉を幾〈いく〉筐〈かご〉ひろつたかこたへてまをしますには十二筐〈かご〉でござります 0820 また四千人に七〈ななつ〉のパンをわりあたへたときそのくづをいく筐〈かご〉拾〈ひ〉ろつたかこたへてまをしますには七〈なな〉かごでござります 0821 イエスかれらにおふせられますには何〈なぜ〉さとらぬか ○ 0822 イエスがベツサイダへおいてなされましたればひとびと瞽者〈めくら〉をつれてきて手〈て〉をおつけなさることを願〈ねがひ〉ました 0823 イエスはめくらの手〈て〉をおとりなされて村〈むら〉の外〈そと〉へつれて出〈で〉てその目〈め〉につばきをして手〈て〉をつけてなにか見〈み〉えるかとお問〈とひ〉なされました 0824 めくらが目〈め〉をあげてわたくしはこの人々〈ひとびと〉があるくのをみますが樹〈き〉のやうでござりますとまをしました 0825 それからまた兩手〈りやうて〉をその目〈め〉につけてそのめをお擧〈あげ〉させなさるとなほつてすべてのものが明〈あき〉らかに見〈み〉えました 0826 そのものを内〈うち〉へかへらせておふせられますにこの村〈むら〉に入〈い〉るなまたこの村〈むら〉の人〈ひと〉にもはなすな ○ 0827 イエスがお弟子〈でし〉たちをおつれなされてカイザリア ピリピの村々〈むらむら〉へおいでなさる途〈みち〉でとふておふせられますにひとびとはわれを誰〈だれ〉であるといふか 0828 こたへてまをしますにはバプテスマのヨハネであるといふものもありエリヤであるといふものもあり預言者〈よげんしや〉の一人〈ひとり〉であるといふものもござります 0829 イエスがお弟子〈でし〉たちにおふせられますに汝〈なんぢ〉曹〈ら〉はわれを誰〈だれ〉であるといふかペテロがこたへてまをしますにはあなたはキリストでござります 0830 イエスはかれらを戒〈いま〉しめてわがことを誰〈だれ〉にもはなすなとお命〈めい〉じなされました ○ 0831 また人〈ひと〉の子〈こ〉はかならずおほくの苦痛〈くるしみ〉をうけ長老〈としより〉と祭司〈さいし〉の長〈をさ〉と學者〈がくしや〉どもにすてられかつ殺〈ころさ〉れて三日〈みつか〉ののちに甦〈よみがへ〉ることをしめしだされました 0832 あきらかにそのことをおしめしなされたればペテロはイエスをおさへて諌〈いさ〉めだしました 0833 イエスは回顧〈ふりかへ〉つてそのお弟子〈でし〉たちをみてペテロをいましめておふせられますにはサタンよわが後〈うしろ〉に退〈しりぞ〉けなんぢは神〈かみ〉のことをおもはずかへつて人〈ひと〉のことをおもふ ○ 0834 人々〈ひとびと〉とお弟子〈でし〉たちを呼〈よん〉でおふせられますにはもしわれに從〈したが〉はんとおもふものは己〈おのれ〉をすててその十字架〈じふじか〉をおふてしたがへ 0835 何〈なぜ〉なれば生命〈いのち〉を全〈まつ〉たうしやうとするものはそれを失〈うしな〉ひわがためまた福音〈ふくいん〉のために生命〈いのち〉をうしなふものはそれを得〈え〉るであらう 0836 もし人〈ひと〉が世界中〈せかいぢう〉を得〈え〉てもその生命〈いのち〉を失〈うし〉なうならば何〈なん〉の益〈え〉きがあるか 0837 また人〈ひと〉は何〈なに〉をもつてその生命〈いのち〉に易〈かへ〉るか 0838 姦惡〈かんあく〉なるこの世〈よ〉において我〈われ〉とわが言〈ことば〉を耻〈はづ〉るものは人〈ひと〉の子〈こ〉もまたそのきよき使〈つかひ〉とともに父〈ちち〉の榮〈さかえ〉をもつてくるときにこれを耻〈はづ〉るであらう 第九章 0901 イエスがまたおふせられますには我〈われ〉まことに告〈つげ〉んここに立〈たつ〉もののうちに神〈かみ〉の國〈くに〉が權威〈けんゐ〉をもつてくるのを見〈み〉るまでは死〈し〉なぬものがある ○ 0902 さてそれから六日〈むつか〉のちにイエスはペテロ ヤコブ ヨハネをつれて人〈ひと〉をさけて高〈たか〉い山〈やま〉にお上〈のぼり〉なされたところがそのまへでお容貌〈すがた〉がかはり 0903 お衣服〈めしもの〉はかがやいて雪〈ゆき〉のやうに眞白〈まつしろ〉になり世〈よ〉の中〈なか〉の布漂〈ぬのさらし〉もそうはしろくは出來〈でき〉まいとおもふほとでござりました 0904 エリヤとモーセもともにあらはれてイエスとおはなしをして居〈をり〉ました 0905 ペテロはこたへてイエスにまをしますにはラビ私共〈わたくしども〉がここに居〈をる〉は宜〈よろし〉うござりますわたくしどもに三〈みつ〉の廬〈いほり〉をつくらせてくださりませ一〈ひと〉つは主〈しゆ〉のため一〈ひと〉つはモーセのため一〈ひと〉つはエリヤのためにいたしませう 0906 あまりおそれて何〈なに〉をいつて宜〈よ〉いかわからぬゆゑかやうまをしたのでござります 0907 そのうちに雲〈くも〉が三人〈さんにん〉をおほひその雲〈くも〉からこはわが愛子〈あいし〉なりこれに聽〈きく〉べしという聲〈こゑ〉がござりました 0908 やがて弟子〈でし〉はみまはすとイエスと自分〈じぶん〉のほかはひとりもみえませんでありました ○ 0909 山〈やま〉をくだるときにイエスはかれらいひつけて人〈ひと〉の子〈こ〉が甦〈よみがへ〉るまではなんぢらのみたことをひとにかたるなとおふせられました 0910 お弟子〈でし〉たちはその言〈ことば〉をまもりかつたがひに論〈ろん〉じてまをしますによみがへるとは何〈なに〉ごとであらう 0911 イエスにとふてまをしますにはエリヤは先〈さき〉に來〈きた〉るべしと學者〈がくしや〉がまをすのはどういふことでござりますか 0912 こたへておふせられますにはまことにエリヤはさきにきて萬事〈ばんじ〉をあらためまた人〈ひと〉の子〈こ〉についてはその樣々〈さまざま〉のくるしみをうけかつ輕〈かろ〉しめらるることがしるしてある 0913 けれどもわれなんぢらに告〈つ〉ぐエリヤはもはやきたのにこの人〈ひと〉についてしるされたとほりに人々〈ひとびと〉は氣恣〈きまま〉なあしらひかたをした ○ 0914 イエスがお弟子〈でし〉たちのところへきてかれらがおほぜいの人々〈ひとびと〉にとりまかれたところと學者〈がくしや〉たちと論〈ろん〉をしてをるのを御覽〈ごらん〉なされました 0915 人々〈ひとびと〉すぐにイエスをみておどろき趨〈はしり〉よつて禮〈れい〉をしました 0916 學者〈がくしや〉たちにとふておふせられますに弟子〈でし〉と何〈なに〉ごとを論〈ろん〉ずるか 0917 おほぜいのうち一人〈ひとり〉こたへてまをしますには先生〈せんせい〉私〈わたくし〉はものいはぬ惡鬼〈あくき〉につかれた子〈むすこ〉をつれてまゐりました 0918 惡鬼〈あくき〉のつくときはなげたふされ沫〈あは〉をふき齒〈は〉を切〈かみ〉しばつて勞〈つかれ〉はてますこれをおひだすことをお弟子〈でし〉たちにねがひましたが出來〈でき〉ません 0919 こたへておふせられますにはああ信仰〈しんかう〉なき世〈よ〉かないつまでわれはなんぢらとともにあるかいつまでなんぢらを忍〈しの〉ぶことかその者〈もの〉をつれてこい 0920 その子〈こ〉をつれてくると惡鬼〈あくき〉はイエスをみてすぐにそれひきつけさせましたれば地〈ち〉にたふれて轉〈ころん〉で沫〈あは〉をふきました 0921 その父〈ちち〉におたづねなされますにいつごろからかうなつたか父〈ちち〉がまをしますには幼〈をさな〉きときからでござります 0922 惡鬼〈あくき〉がたびたびこれを火〈ひ〉のなかや水〈みづ〉のなかになげいれて殺〈ころ〉さうといたしましたあなたもしお出來〈でき〉なさるならは私共〈わたくしども〉をあはれんでおたすけください 0923 イエスがおふせられますになんぢはもし信〈しん〉ずることが出來〈でき〉るならば信〈しん〉ずるものにはなにごとでもできぬといふことはない 0924 その子〈こ〉の父〈ちち〉はすぐにこゑをあげ涙〈なみだ〉をながして申〈まをし〉ますには主〈しゆ〉よわたくしは信〈しん〉じますわたくしの信仰〈しんかう〉のないのをおたすけください 0925 イエスは人々〈ひとびと〉のはしりあつまるのをみて惡鬼〈あくき〉をせめておふせられますには唖者〈おふし〉にして聾〈つんぼ〉なる惡鬼〈あくき〉よわれなんぢに命〈めい〉ず出〈で〉てまたこのものに入〈い〉るな 0926 惡鬼〈あくき〉はさけんでそのものをひどくひきつけさせて出〈で〉ましたれば死〈し〉んだもののやうになりました人々〈ひとびと〉はあれはもう死〈し〉んだとまをしました 0927 イエスがその手〈て〉をとつてお起〈おこ〉しなされるとそのものはたちました ○ 0928 イエスが家〈いへ〉にお入〈はい〉りなされたときお弟子〈でし〉たちがひそかにとふてまをしますにはわたくしどもがこれをおひだせぬのはどういふわけでござりますか 0929 こたへておふせられますにはこの類〈たぐひ〉は祈〈いの〉りと斷食〈だんじき〉でなければおひだすことは出來〈でき〉ぬ ○ 0930 ここを立〈たつ〉てからガリラヤをとふりましたイエスはこのことを人〈ひと〉にしらせたくないとおぼしめしました 0931 なぜなれはお弟子〈でし〉たちに教〈をし〉へて人〈ひと〉の子〈こ〉は人〈ひと〉の手〈て〉にわたされ人〈ひと〉にころされてのち第三日〈みつか〉めによみがへるであらうとおふせられたからでござります 0932 そのときおでしたちはこのことばを悟〈さと〉らずまた尋〈たづね〉ることもおそれました ○ 0933 さてイエスはカペナウムにおいでなされ家〈いへ〉におはいりなされて弟子〈でし〉たちにおたづねなさるになんぢらは途〈みち〉でなにをたがひに論〈ろん〉じたか 0934 弟子〈でし〉たちは默〈だまつ〉てをりましたこれはみちでたがひに論〈ろん〉じあつてだれが一番〈いちばん〉大〈おほい〉なるものとなるかとあらそふたからでござります 0935 イエスはお坐〈すは〉りなされてその十二人〈にん〉を呼〈よ〉んでおふせられますには首〈かしら〉とならうとおもふものは凡〈すべ〉ての人〈ひと〉の使役〈つかはれ〉びととなるであらう 0936 またひとりの孩提〈をさなご〉をとつてそのなかに立〈たた〉せそれを抱〈いだ〉いておふせられますには 0937 おほよそわが名〈な〉のためにこのやうな孩提〈をさなご〉のひとりをうけるものはすなはち我〈われ〉をうけるものであるまた我〈われ〉をうけるものはすなはち我〈われ〉をうけるのではない我〈われ〉をつかはしたものをうけるのである ○ 0938 ヨハネがこたへてまをしますには先生〈せんせい〉私共〈わたくしども〉にしたがはぬものがあなたの名〈な〉によつて惡鬼〈あくき〉をおひだすのを見〈み〉ましたが私共〈わたくしども〉に從〈したが〉いませんからそれを禁〈とどめ〉ました 0939 イエスがおふせられますにはそれを禁〈とどめ〉るななぜなればわが名〈な〉によつて不思議〈ふしぎ〉なわざをおこなつて輕々〈かろがろ〉しくわれを悪〈わる〉くいひなすことのできるものはいない 0940 われに敵〈てき〉たはねものはわれに屬〈つく〉ものである 0941 なんぢらをキリストにつくものとしてわが名〈な〉のために一杯〈いつぱい〉の水〈みづ〉でもなんぢらに飮〈のま〉せるものは我〈われ〉まことになんぢらにつげんその人〈ひと〉は報〈むくい〉をうしなはぬ 0942 またおほよそ我〈われ〉を信〈しん〉ずる少〈ちひさ〉いものの一人〈ひとり〉を礙〈つまづ〉かするものはその首〈くび〉に磨〈ひきうす〉をかけて海〈うみ〉の中〈なか〉へなげいれられる方〈はう〉がその人〈ひと〉のためになほよからう 0943 若〈もし〉なんぢの一手〈かたて〉がなんぢを礙〈つまづ〉かさせるならばこれを斷〈きり〉され兩手〈りやうて〉あつて地獄〈ぢごく〉の消〈きえ〉ざる火〈ひ〉にゆくよりは殘缺〈かたは〉で生命〈いのち〉にいるはうがなんぢのためによいことである 0944 そこに入〈い〉るものの蟲〈うじ〉はつきず火〈ひ〉消〈きえ〉ぬ 0945 もしなんぢの一足〈かたあし〉がなんぢをつまづかせるならばこれを斷〈きり〉され兩足〈りやうあし〉あつて地獄〈ぢごく〉のきえざる火〈ひ〉になげいれられるよりは跛〈あしなへ〉で生命〈いのち〉にいるはうがなんぢのためによい 0946 そこいるものの蟲〈うじ〉はつきず火〈ひ〉はきえぬ 0947 もしなんぢの一眼〈かため〉がなんぢをつまづかせるならばこれを抜〈ぬき〉だせ兩眼〈りやうめ〉あつて地獄〈ぢごく〉の火〈ひ〉になげいれられるよりは一眼〈かため〉で神〈かみ〉の國〈くに〉にいるほうがなんぢのためによい 0948 そこに入〈いる〉ものの蟲〈うじ〉はつきず火〈ひ〉はきえぬ 0949 なぜなれはすべての人〈ひと〉は火〈ひ〉をもつて鹽〈しほ〉つけられすべての供物〈そなへもの〉は鹽〈しほ〉をもて鹽〈しほ〉つけらる 0950 鹽〈しほ〉はよいものであるが鹽〈しほ〉がもしその味〈あじ〉をうしなふならばどうしてそれに味〈あぢ〉をつけることが出來〈でき〉やうか汝〈なんぢ〉曹〈ら〉心〈こころ〉のうちに鹽〈しほ〉を有〈たも〉てまたたがひに睦〈むつま〉しくして和〈やはら〉げ 第十章 1001 イエスはここを立〈たつ〉てヨルダンの向〈むかふ〉をとほつてユダヤの境〈さかひ〉のうちにおいでなされましたればおほくの人々〈ひとびと〉が集〈あつま〉つて來〈き〉たゆゑ例〈いつも〉のごとくその人々〈ひとびと〉に教〈をしへ〉をなされました 1002 パリサイのひとが來〈き〉てイエスを試〈こころみ〉て問〈とひ〉ますには人〈ひと〉は妻〈つま〉を出〈だし〉てもよいものでござりますか 1003 こたへおふせられますにはモーセはなんぢらに何〈なん〉といひつけたか 1004 こたへてまをしますにはモーセは離縁状〈りゑんじやう〉を書〈かい〉てやつてから出〈だ〉すことを許〈ゆるし〉ました 1005 イエスがこたへておふせられますにはモーセはなんぢらが心〈こころ〉の不情〈つれない〉によつてこの律法〈おきて〉を立〈たて〉たのである 1006 しかし開闢〈よのひらけ〉るはじめに神〈かみ〉は人〈ひと〉を男〈をとこ〉と女〈をんな〉にお造〈つく〉りなされた 1007 このゆゑに人〈ひと〉はその父母〈ちちはは〉をはなれてその妻〈つま〉に合〈あつ〉て 1008 二人〈ふたり〉のものが一體〈いつたい〉となるのであるされば二〈ふた〉つではなく一體〈いつたい〉である 1009 このゆゑに神〈かみ〉の耦〈そは〉せたまふたものは人〈ひと〉がこれを離〈はな〉してはならぬ ○ 1010 家〈いへ〉にをつて弟子〈でし〉たちがまたこのことを問〈とひ〉ましたれば 1011 イエスがおふせられますにはおほよそその妻〈つま〉を出〈だ〉して他〈ほか〉の婦〈をんな〉を娶〈めとる〉ものはその妻〈つま〉に對〈たい〉して姦淫〈かんいん〉をおこなふのである 1012 また婦〈をんな〉がもしその夫〈をつと〉を出〈だ〉して他〈ほか〉へ嫁〈とつぐ〉ならばその婦〈をんな〉も姦淫〈かんいん〉をおこなふものである ○ 1013 イエスに捫〈さはら〉れるために孩提〈をさなご〉をつれてまゐりましたればお弟子〈でし〉たちはそのつれてきたものを禁〈いまし〉めました 1014 イエスはそれを御覽〈ごらん〉なされて怒〈いかり〉をふくんでおふせられますには孩提〈をさなご〉をわれに來〈きた〉らせよそれを禁〈いまし〉めるな神〈かみ〉の國〈くに〉に居〈をる〉ものはこのやうなものである 1015 まことに我〈われ〉なんぢらに告〈つげ〉んおほよそ孩提〈をさなご〉のやうになつて神〈かみ〉の國〈くに〉をうけぬものはこれに入〈いる〉ことは出來〈でき〉ぬ 1016 そうおふせられてその孩提〈をさなご〉を抱〈だい〉て手〈て〉をその上〈うへ〉に按〈のせ〉てお祝〈しく〉しなされました ○ 1017 イエスが途〈みち〉へお出〈で〉かけなされると一人〈ひとり〉の人〈ひと〉がかけて來〈き〉て跪〈ひざまづ〉いて問〈とひ〉ますには善〈よい〉先生〈せんせい〉私〈わたくし〉は限〈かぎり〉なき生命〈いのち〉を嗣〈つぐ〉ためには何事〈なにごと〉をしたらよろしうござりませうか 1018 イエスがおふせられますには何〈なぜ〉われを善〈よい〉といふか一人〈ひとり〉のほかに善〈よい〉ものはないそれはすなはち神〈かみ〉である 1019 誡〈いましめ〉はなんぢが知〈しる〉とほりである姦淫〈かんいん〉するなかれ殺〈ころす〉なかれ僞〈いつはり〉の證〈あかし〉を立〈たつ〉るなかれ拐騙〈あざむきとる〉なかれ汝〈なんぢ〉の父〈ちち〉と母〈はは〉を敬〈うやま〉へ 1020 こたへてまをしますには先生〈せんせい〉これらのことはみんな私〈はたくし〉の幼〈いとけなき〉ときから守〈まもり〉ました 1021 イエスがそのものを見〈み〉て愛〈いつくし〉んでおふせられますにはなんぢはなほ一〈ひとつ〉足〈たら〉ぬことがある行〈ゆい〉てその所有〈もちもの〉を賣〈うつ〉て貧者〈まづしい〉ものに施〈ほどこ〉せさらば天〈てん〉において貨財〈たから〉があらうそうしてから來〈き〉て十字架〈じふじか〉をとつて我〈われ〉に從〈したが〉へ 1022 かのものはこのお言〈ことば〉によつて哀〈かなし〉み憂〈うれ〉ひてそこを去〈さり〉ましたそれといふは大〈おほい〉なる身代〈しんだい〉をもつて居〈をつ〉たからでござります 1023 イエスが環視〈みまは〉してお弟子〈でし〉たちにおふせられますには財〈たから〉をもてるものが神〈かみ〉の國〈くに〉に入〈い〉るはなんと難〈かた〉いことである 1024 お弟子〈でし〉たちはこのお言〈ことば〉におどろきましたイエスがまたこたへておふせられますには小子〈こども〉よ財〈たから〉を恃〈たの〉むものが神〈かみ〉の國〈くに〉に入〈い〉るは何〈なん〉と難〈かた〉いことである 1025 富〈とめ〉るものが神〈かみ〉の國〈くに〉に入〈い〉るよりは駱駝〈らくだ〉の針〈はり〉の孔〈あな〉を通〈とほ〉るはかへつて易〈やす〉い 1026 お弟子〈でし〉たちは甚〈ひど〉くおどろいてたがひに申〈まをし〉ますにはさらば誰〈だれ〉が救〈すくは〉れることができませうか 1027 イエスがお弟子〈でし〉たちをみておふせられますにはこれは人〈ひと〉には出來〈でき〉ぬことであるが神〈かみ〉においてさうでない神〈かみ〉にはお出來〈でき〉なさらぬことはない 1028 そこでペテロがまをしますには私共〈わたくしども〉は一切〈すべて〉をすててあなたに從〈したが〉ひました 1029 イエスがこたへておふせられますにはまことになんぢらに告〈つげ〉ん我〈われ〉と福音〈ふくいん〉のために家〈いへ〉または兄弟〈きやうだい〉または姉妹〈しまい〉または父〈ちち〉または母〈はは〉または妻〈つま〉または兒女〈こども〉または田疇〈たはた〉を捨〈すて〉るものは 1030 この世〈よ〉にて百倍〈ひやくばい〉をうけぬものはないすなはち家〈いへ〉兄弟〈きやうだい〉姉妹〈しまい〉母〈はは〉兒女〈こども〉田疇〈たはた〉とともにうけまた後〈のち〉の世〈よ〉には限〈かぎ〉りなき生命〈いのち〉をうけるであらう 1031 けれどもおほくの先〈さき〉のものは後〈あと〉になり後〈あと〉のものが先〈さき〉になるであらう ○ 1032 さてエルサレムへ上〈のぼ〉る途中〈とちう〉イエスはお弟子〈でし〉たちに先〈さき〉だつておいでなされましたがかれらはおどろきかつおそれてしたがひましたイエスは十二人〈にん〉をおつれなされて今〈いま〉に己〈おのれ〉の身〈み〉のうへに及〈およん〉でくることをつげておふせられますには 1033 われらはエルサレムへのぼつて人〈ひと〉の子〈こ〉は祭司〈さいし〉の長〈をさ〉と學者〈がくしや〉たちにころされかの人〈ひと〉たちはこれを死罪〈しざい〉にさだめ異邦人〈いはうじん〉にわたし 1034 またこれを嘲弄〈てうろう〉し鞭〈むち〉うち唾〈つばき〉しかつ殺〈ころ〉すであらうさうして第三日〈みつかめ〉に甦〈よみがへ〉るであらう ○ 1035 ゼベタイの子〈こ〉ヤコブとヨハネがイエスに來〈き〉てまをしますには先生〈せんせい〉どうぞ私共〈わたくしども〉の願望〈ねがひ〉をきいてください 1036 おふせられますにはなんぢらにわが何〈なに〉をすることを願〈ねが〉ふか 1037 こたへてまをしますにはあなたが榮〈さかえ〉をおうけなさるときにわたくしどもの一人〈ひとり〉をその右〈みぎ〉に一人〈ひとり〉をその左〈ひだり〉に坐〈すはら〉せてくださいませ 1038 イエスがおふせられますにはなんぢらは自分〈じぶん〉でねがふことを知〈しら〉ぬなんぢらはわが飮〈のむ〉ところの杯〈さかづき〉をのみわが受〈うけ〉るところのバプテスマをうけることが出來〈でき〉るか 1039 かれらがまをしますには出來〈でき〉ますイエスがおふせられますにはなんぢらは實〈じつ〉にわが飮〈のむ〉ところの杯〈さかづき〉をのみまたわが受〈うけ〉るところのバプテスマをうけるであらう 1040 けれどもわが右〈みぎ〉にすはることはわが與〈あと〉ふべきところでないただ備〈そなへ〉られたものはあたへられるであらう 1041 十人〈にん〉の弟子〈でし〉これを聞〈きい〉てヤコブとヨハネを憤〈いき〉どほりました 1042 イエスはかれらよんでおふせられますには異邦人〈いはうじん〉の君〈きみ〉と見〈み〉えるものはその民〈たみ〉を治〈をさ〉めまた大〈おほい〉なるものどもはその上〈うへ〉に權威〈けんゐ〉をふるふことはなんぢらが知〈し〉つてをるところである 1043 けれどもなんぢらのうちではさうしてはならぬなんぢらのうちで大〈おほい〉ならうとおもふものはなんぢらに役〈つかは〉れるものとなるであらう 1044 またなんぢらのうち首〈かしら〉とならうとおもふものはすべての人〈ひと〉の僕〈しもべ〉となるであらう 1045 なぜなれば人〈ひと〉の子〈こ〉の來〈きた〉のも人〈ひと〉をつかふためではなくかへつて人〈ひと〉に役〈つかは〉れまたおほくの人〈ひと〉に代〈かは〉つてその生命〈いのち〉をすてて贖〈あがなひ〉となるためである ○ 1046 それからエリコへいきイエスがお弟子〈でし〉たちとおほぜいの人々〈ひとびと〉とともにエリコをおでかけなさるときテマイの子〈こ〉のバルテマイといふ瞽者〈めくら〉が路旁〈みちばた〉にすはつてものをもらつてをりましたが 1047 ナザレのイエスだと聞〈きい〉て呼〈よ〉んでまをしますにはダビデの子〈こ〉イエスよ私〈わたくし〉を恤〈あは〉れんでください 1048 おほくのひとびとが默〈だま〉れと禁〈いましめ〉ましたれはなほなほよんでダビデの子〈こ〉よ私〈わたくし〉をあはれんでくださいとまをしました 1049 イエスはお立〈たち〉どまりなされてかのものよべとお命〈めい〉じなされたれば人々〈ひとびと〉がめくらをよんでまをしますには安心〈あんしん〉してたちなさいイエスがお前〈まへ〉をおよびなさる 1050 めくらはその表衣〈うはぎ〉をすてて立〈たつ〉てイエスのもとにまゐりました 1051 イエスがこたへておふせられますにはなんぢは私〈われ〉に何〈なに〉をしてもらひたいかめくらがまをしますには主〈しゆ〉よ目〈め〉が見〈み〉えるやうになりたうござります 1052 イエスがおふせられますには行〈ゆけ〉なんぢの信仰〈しんかう〉がなんぢを救〈すく〉つたすぐにかのものは見〈み〉えるやうになつてにイエスに從〈したが〉つて途〈みち〉をいきました 第十一章 1101 橄欖山〈かんらんざん〉のベツパゲとベタニヤにゆきエルサレムにちかづいたときイエスがふたりの弟子〈でし〉をつかはそうとして 1102 おふせられますにはなんぢら向〈むかふ〉の村〈むら〉へゆけそこに入〈はい〉らばやがて人〈ひと〉のまだ乘〈のら〉ぬ驢馬〈ろば〉の子〈こ〉が繋〈つな〉いであるのをみるであらうそれを解〈とい〉て牽〈ひい〉てこい 1103 もし誰〈だれ〉かなんぢらに何〈なぜ〉そうするかといふものがあらば主〈しゆ〉の御用〈ごよう〉であるといへさらばすぐそれをここへつかはすであらう 1104 二人〈ふたり〉は行〈いつ〉て外〈そと〉の岐路〈ちまた〉に驢馬〈ろば〉の子〈こ〉がつないであるのをみてそれを解〈とく〉と 1105 そこに立〈たつ〉てをる人々〈ひとびと〉のうち或〈ある〉ものが申〈まを〉しますにはこの驢馬〈ろば〉の子〈こ〉を解〈とい〉てだうするか 1106 お弟子〈でし〉たちはイエスのおいひつけなされたとほりにまをしましたればゆるしました 1107 お弟子〈でし〉たちは驢馬〈ろば〉の子〈こ〉をイエスに牽〈ひい〉てきておのれの衣服〈きもの〉をそのうへにおきましたればイエスはこれにお乘〈のり〉なされました 1108 人々〈ひとびと〉おほくはその衣服〈きもの〉を布〈し〉きまたは樹〈き〉の枝〈えだ〉を伐〈きつ〉て途〈みち〉にしき 1109 かつ前〈まへ〉にゆき後〈あと〉にしたがふひとびとが呼〈よば〉はつてまをしますには「ホザナ」よ主〈しゆ〉の名〈な〉によりてきたるものは福〈さいはひ〉なり 1110 主〈しゆ〉の名〈な〉によりてきたるわれらの父〈ちち〉なるダビデの國〈くに〉はさいはひなり至高〈いとたか〉きところに「ホザナ」よとまをしました ○ 1111 イエスはエルサレムにおいでなされて神殿〈みや〉にはいつて遺〈のこ〉らずおみまはしなされもはや暮〈くれ〉方〈がた〉になりましたから十二人〈にん〉とともにベタニヤへおいでになりました ○ 1112 あくる日〈ひ〉ベタニヤから出〈で〉たときイエスが飢〈ひも〉じくおなりなさいました 1113 はるかに葉〈は〉のある無花果〈いちじく〉の樹〈き〉を御覽〈ごらん〉なされその樹〈き〉になにかあらうとておいでなされたところが葉〈は〉のほかなにもみえませんでありましたこれは無花果〈いちじく〉ときでないからでござります 1114 イエスはこの樹〈き〉にむかつて今〈いま〉よりのちいつまでもなんぢの實〈み〉を食〈くふ〉ものはないとおふせられましたがお弟子〈でし〉たちはこれをききました ○ 1115 エルサレムにまゐりイエス神殿〈みや〉にはいつてそのなかにをる賣買〈うりかひ〉するものを神殿〈みや〉よりおひだし兌銀〈りやうがへ〉するものの案〈だい〉と鴿〈はと〉をうるものの椅子〈こしかけ〉をたふし 1116 また器具〈うつはもの〉をもつてみやを通〈とほ〉ることをおゆるしなさりませんでありました 1117 またこの人〈ひと〉たちに教〈をし〉へておふせられますにはわが家〈いへ〉は萬國〈ばんこく〉の人〈ひと〉の祈〈いのり〉の家〈いへ〉ととなへらるべしとしるされたではないかしかるになんぢらはこれを盜賊〈ぬすびと〉の巣〈す〉となした 1118 學者〈がくしや〉と祭司〈さいし〉の長〈をさ〉がこれをきいてどうかしてイエスをほろぼそうとはかりましたがおそれましたその譯〈わけ〉はひとびとみなその教〈をしへ〉におどろいたからでござります ○ 1119 日〈ひ〉がくれてからイエスは都〈みやこ〉を出〈で〉ておいでなさりました 1120 明〈あく〉る朝〈あさ〉いちじくの樹〈き〉をとふるとその根〈ね〉からことごとく枯〈か〉れたのをみました 1121 ペテロがおもひだしてイエスにまをしますにはラビ御覽〈ごらん〉なさいお詛〈のろい〉なされたいちじくは枯〈かれ〉てしまいました 1122 イエスがこたへておふせられますには神〈かみ〉を信〈しん〉ぜよ 1123 まことなんぢらにつげん誰〈だれ〉でもその心〈こころ〉に疑〈うたが〉はずにそのいふことは必〈かな〉らずなると信〈しん〉じてこの山〈やま〉にうつりて海〈うみ〉に入〈はい〉れといはばそのことばのとほりになるであらう 1124 このゆゑにわれなんぢらにつげんおほよそ祈〈いの〉るときその願〈ねが〉ふものは必〈かな〉らずえると信〈しん〉ずるならかならずえるであらう 1125 またなんぢら立〈たつ〉ていのりをするときもしひとを恨〈うら〉ら〔「ら」衍字〕むことがあらばこれをゆるせそのわけは天〈てん〉にいますなんぢらの父〈ちち〉になんぢらもあやまちをゆるされるためである 1126 もしなんぢらゆるされぬならば天〈てん〉にいますなんぢらの父〈ちち〉もなんぢらのあやまちをゆるしたまはぬであらう ○ 1127 またエルサレムへまゐりましたがイエスが殿〈みや〉をおあるきなさるとき祭司〈さいし〉の長〈をさ〉と學者〈がくしや〉たちがきて 1128 まをしますにはなんぢはなんの權威〈けんゐ〉をもつてこのことをするか誰〈だれ〉がこのことをするためになんぢにこの權威〈けんゐ〉をあたへたか 1129 イエスがこたへておふせられますには我〈われ〉も一事〈ひとこと〉なんぢらにとふことがあるそれを我〈われ〉にこたへるなら我〈われ〉もなんぢらになにの權威〈けんゐ〉をもつてこれをなすといふことを告〈つげ〉やう 1130 ヨハネのバプテスマは天〈てん〉よりか人〈ひと〉よりかわれにこたへよ 1131 この人々〈ひとびと〉はたがひに論〈ろん〉じてまをしますにもし天〈てん〉よりといはばさらばなにゆゑこの人〈ひと〉を信〈しん〉ぜぬかといふであらう 1132 もし人〈ひと〉よりといはば民〈たみ〉をおそれましたなぜなれば人々〈ひとびと〉みなヨハネを預言者〈よげんしや〉といたしましたからでござります 1133 とうとうこたへて知〈し〉らぬとまをしましたイエスがこたへてわれもなにの權威〈けんゐ〉をもつこれをなすかなんぢらに語〈かたら〉ぬとおふせられました 第十二章 1201 イエスが譬〈たとへ〉をもつておはなしなされました或〈ある〉人〈ひと〉が葡萄園〈ぶだうばたけ〉をつくり籬〈まがき〉をめぐらし酒榨〈さかぶね〉をほり塔〈ものみ〉をたて農夫〈ひやくしやう〉にかしてほかの國〈くに〉へいつたが 1202 時〈とき〉がきたからふだうばたけの實〈み〉をうけとるために僕〈しもべ〉を農夫〈ひやくしよう〉につかはしたところが 1203 ひやくしようどもがこれをとらへ打〈うち〉撲〈たたい〉てむなしくかへらせた 1204 またほかの僕〈しもべ〉をかれらにつかはしたところが農夫〈ひやくしよう〉どもがそれを石〈いし〉でうち頭〈あたま〉に傷〈きず〉をつけはづかしめてかへした 1205 また他〈ほか〉のものをつかはしたがそれを殺〈ころ〉しまたほかにおほくつかはしたが打〈うつ〉たり殺〈ころ〉したりした 1206 ここにひとりの愛子〈あいし〉があつたがこの我〈わが〉子〈こ〉は敬〈うやま〉ふであらうといつてその子〈こ〉をつかはしたところが 1207 農夫〈ひやくしよう〉どもがたがひにいふにはこれは嗣子〈あとつぎ〉であるサアこれを殺〈ころ〉そうそうすれば身代〈しんだい〉はわれらのものである 1208 といつてそれをとらへてころし葡萄園〈ぶだうばたけ〉の外〈そと〉にすてた 1209 しからはぶだうばたけの主人〈あるじ〉はどうするであらう必〈かならず〉来〈き〉て農夫〈ひやくしよう〉どもをうちほろぼしぶだうばたけを他〈ほか〉の人〈ひと〉にあたへるであらう 1210 工匠〈いへつくり〉のすてたる石〈いし〉は家〈いへ〉のすみの首石〈おやいし〉となれり 1211 これ主〈しゆ〉のなしたまへることにしてわれらの目〈め〉に奇〈あや〉しとするところなりとしるされたのをまだ讀〈よま〉ぬか 1212 かれらこのたとへは己〈おのれ〉のことであるとしつてイエスをとらへやうしたがひとびとをおそれてイエスをはなれて行〈ゆき〉ました ○ 1213 かれらはイエスをその言〈ことば〉によつておとしいれやうとしてパリサイのひととヘロデのともがらのうちより數人〈すにん〉をつかはしました 1214 つかはされたものどもがイエスのところへに來〈き〉てまをしますには先生〈せんせい〉あなたはまことで誰〈だれ〉にもお偏〈かた〉よりなさらぬことを私共〈わたくしども〉存〈ぞん〉じてをりますあなたは貌〈かたち〉によつて人〈ひと〉をお取〈とり〉なさらず誠〈まこと〉をもつて神〈かみ〉の道〈みち〉をおをしへなさるからでござりますさて貢〈みつぎ〉をカイザルに納〈をさめ〉るは宜〈よろ〉しうござりますかよろしうござりませんかわたくしどもこれを納〈をさめ〉ませうか納〈をさめ〉ますまいか 1215 イエスはそのまことでないことをしつておふせられますにはなぜわれを試〈こころみ〉るかデナリをわれにもつてきて〈見み〉せろ 1216 それをもつてまゐりましたそこでおふせられますにはこの像〈かたち〉と號〈しるし〉は誰〈だれ〉であるかこたへてカイザルでござりますとまをした 1217 イエスがおふせられますにはカイザルのものはカイザルにかへし神〈かみ〉のものは神〈かみ〉にかへせかれらはこれをおどろきました ○ 1218 復生〈よみがへり〉はないといふサドカイのひとがきてイエスにとひますには 1219 先生〈せんせい〉モーセはわたくしどもに人〈ひと〉の兄弟〈きやうだい〉がもし子〈こ〉なくして妻〈つま〉をのこして死〈し〉なばその兄弟〈きやうだい〉そのつまをめとりて兄弟〈きやうだい〉の裔〈あと〉をたつべしと書〈かい〉ておきましたが 1220 ここに七人〈しちにん〉の兄弟〈きやうだい〉がありましたが兄〈あに〉が妻〈つま〉をめとつて子〈こ〉がなくして死〈しに〉 1221 二人〈ふたり〉めのものがこれをめとりまた子〈こ〉がなくして死〈しに〉 1222 三人〈さんにん〉めもまたそのとほり七人〈しちにん〉皆〈みんな〉これをめとつたが子〈こ〉がなくして終〈しまい〉にその婦〈をんな〉も死〈しに〉ました 1223 復生〈よみがへり〉のときかれらがよみがへるならばその婦〈をんな〉は誰〈だれ〉のつまとなるでござりませうかなぜなれは七人〈しちにん〉ともにこれをめとりましたから 1224 イエスこたへておふせられますにはなんぢらは聖書〈せいしよ〉も神〈かみ〉の力〈ちから〉もしらぬから誤〈あやま〉るではないか 1225 よみがへるときは娶〈よめとり〉もせず嫁〈よめいり〉もせず天〈てん〉にある使〈つかひ〉たちのやうである 1226 死〈しん〉だもののよみがへることについてはモーセの書〈ふみ〉棘中〈しば〉の巻〈まき〉に神〈かみ〉かれにかたりてわれはアブラハムの神〈かみ〉イサクの神〈かみ〉ヤコブの神〈かみ〉なりといひたまふたことをよまぬか 1227 神〈かみ〉は死〈しん〉だものの神〈かみ〉ではない生〈いきた〉ものの神〈かみ〉であるなんぢらはおほいにあやまつてをる ○ 1228 學者〈がくしや〉のひとりがこの議論〈ぎろん〉をきいてイエスのこれによくおこたへなされたことをしつてまた問〈とふ〉てまをしますにはすべての誡〈いましめ〉のうちで孰〈どれ〉が首〈かしら〉でござりますか 1229 イエスがおこたへなされますにはすべての誡〈いましめ〉のかしらはイスラエルよきけ主〈しゆ〉なるわれらの神〈かみ〉はすなはち一〈ひとつ〉の主〈しゆ〉なり 1230 なんぢ心〈こころ〉をつくし精神〈せいしん〉をつくし意〈こころばせ〉をつくし力〈ちから〉をつくして主〈しゆ〉なるなんぢの神〈かみ〉を愛〈あい〉すべしこれは誡〈いましめ〉のかしらである 1231 第二〈だいに〉もまたこれにおなじやうで己〈おのれ〉のごとくなんぢの隣〈となり〉を愛〈あい〉すべしこれよりおほいなるいましめはない 1232 學者〈がくしや〉がイエスに申〈まを〉しますには善〈よい〉かな先生〈せんせい〉あなた神〈かみ〉はすなはち一〈ひとつ〉にしてほかに神〈かみ〉なしとおふせられたのはまことでござります 1233 また心〈こころ〉をつくし智慧〈ちゑ〉をつくし精神〈せいしん〉をつくし力〈ちから〉をつくしてこれを愛〈あい〉しまたおのれのごとく隣〈となり〉をあいするはすべての燔祭〈はんさい〉と供物〈そなへもの〉よりもまさります 1234 イエスはそのわけのわかつたこたへをごらんなされておふせられますにはなんぢは神〈かみ〉の國〈くに〉より遠〈とほ〉くないこのときからはだれもイエスに問〈とひ〉えるものはござりませんでありました ○ 1235 イエスが殿〈みや〉にあつて教〈をしへ〉をなされるときこたへておふせらますにはなぜ學者〈がくしや〉はキリストをダビデの子〈こ〉といふか 1236 ダビデは聖靈〈せいれい〉に感〈かん〉じて自〈みづか〉ら主〈しゆ〉わが主〈しゆ〉にいひけるはわれなんぢの敵〈てき〉をなんぢの足〈あし〉の下〈した〉におくまではわが手〈て〉の右〈みぎ〉に坐〈ざ〉せよといふ 1237 かくのとほりダビデはみづからかれを主〈しゆ〉ととなへたさればどうしてその子〈こ〉であるかおほくの人々〈ひとびと〉はよろこんでイエスにききました ○ 1238 イエスがをしへをなせるときおふせられますには長〈なが〉い衣服〈きもの〉をきてあるき市上〈ちまた〉でひとの問安〈あいさつ〉や 1239 會堂〈くわいだう〉の高坐〈かうざ〉ふるまひの上座〈かみざ〉をこのみ 1240 またやもめの家〈いへ〉を飲〈のみ〉いつはつて長〈なが〉い祈〈いのり〉をする學者〈がくしや〉をつつしめこの人〈ひと〉たちはもつともきびしくばつせられるであらう ○ 1241 イエスが賽錢箱〈さいせんばこ〉にむかつて坐〈すは〉つて人々〈ひとびと〉の錢〈ぜに〉を箱〈はこ〉にいれるのを御覽〈ごらん〉なさるにおほくの富〈とめ〉るひとびとは澤山〈たくさん〉なげいれましたが 1242 ひとりの貧〈まづし〉い嫠婦〈やもめ〉がきてレプタふたつをなげいれましたこれは四厘〈よりん〉ほどにあたります 1243 イエスはお弟子〈でし〉たちをよんであふせられますにまことにわれなんぢらにつげん箱〈はこ〉になげいれたすべてのひとびとよりもこのまづしい婦〈をんな〉はおほくなげいれた 1244 なぜなればあの人〈ひと〉たちはその餘〈あまれ〉るところを入〈い〉れこの婦〈をんな〉はその乏〈とぼし〉いところよりそのすべてすなはち身代〈しんだい〉ことごとく入〈いれ〉たからである 第十三章 1301 イエスが神殿〈みや〉をおでかけなさるとひとりのお弟子〈でし〉がまをしますには先生〈せんせい〉ご覽〈らん〉なさいこの石〈いし〉この家〈いへ〉はなんと盛〈さか〉んなものではござりませんか 1302 イエスがこたへておふせられますにはなんぢらこの大〈おほい〉なる家〈いへ〉をみるか一〈ひ〉とつの石〈いし〉も石〈いし〉の上〈うへ〉にくづされずには遺〈のこる〉まい 1303 イエスが橄欖山〈かんらんざん〉で神殿〈みや〉にむかつてお坐〈すは〉りなされたときペテロ ヤコブ ヨハネ アンデレがひそかに問〈とふ〉てまをしますには 1304 いつこのことがござりますかまたすべてこのことのあるときはどういふ休徴〈しるし〉があるかわたくしどもにお知〈しら〉せください 1305 こたへておふせられますには人〈ひと〉に欺〈あざむ〉かれぬやうつつしめ 1306 なぜなればおほくのひとがわが名〈な〉をいつはつてきて我〈われ〉はキリストであるといつておほくの人〈ひと〉をあざむくであらう 1307 なんぢら戰〈いくさ〉と戰〈いくさ〉の風聲〈うはさ〉をきくときおそれるなこれらのことはみなあるべきことであるけれども終〈をはり〉はまだこぬ 1308 民〈たみ〉はおこつて民〈たみ〉をせめ國〈くに〉は國〈くに〉をせめまたところどころに地震〈ぢしん〉があり饑饉〈ききん〉騒動〈そうどう〉があるであらうこれらは困難〈くるしみ〉のはじめである 1309 なんぢらみづからつつしめなぜなればなんぢら集議所〈しうぎじよ〉にわたされまた會堂〈くわいだう〉でむちうたれ且〈かつ〉證〈あかし〉をするためにわがことによつて宰〈つかさ〉や王〈わう〉のまへにひきいだされるであらう 1310 そうして福音〈ふくいん〉はまづ萬民〈ばんみん〉にのべつたへられなければならぬ 1311 もしなんぢらをひきわたすものがあらばまへかたより何〈なに〉をいはふと考〈かんが〉へまた慮〈きづか〉ふなただその時〈とき〉たまふところのことばをいへなぜなればものいふものはなんぢらではなく聖靈〈せいれい〉である 1312 兄弟〈きやうだい〉は兄弟〈きやうだい〉を死〈し〉にわたし父〈ちち〉は子〈こ〉をわたしまた子〈こ〉はその父母〈ちちはは〉にさからつてこれを死〈し〉なしめ 1313 またなんぢらはわが名〈な〉によつてすべてのひとに憎〈にくま〉れるであらうけれども終〈をはり〉まで忍〈しの〉ぶものはすくはるることができるであらう 1314 預言者〈よげんしや〉ダニエルが言〈いつ〉たところの殘暴〈あらす〉にくむべきものが立〈たつ〉まじきところに立〈たつ〉をみるならば(よむものよくおもふべし)そのときユダヤにをるものは山〈やま〉にのがれよ 1315 屋上〈やね〉のうへにをるものは家〈いへ〉にくだるなまた物〈もの〉をとりにその家〈いへ〉に入〈い〉るな 1316 田〈た〉にをるものはその衣服〈きもの〉をとりにかへるな 1317 その日〈ひ〉には孕〈はらめ〉るものと乳〈ちち〉をのまする婦〈をんな〉はわざはひなことである 1318 なんぢら冬〈ふゆ〉に遁〈にげ〉ることをのがれるやうに祈〈いの〉れ 1319 その日〈ひ〉にはなやみがあらうかくのごときなやみは神〈かみ〉のものをつくりはじめたまふた世〈よ〉の始〈はじめ〉より今〈いま〉にいたるまであつたことはないまた後〈のち〉にもあるまい 1320 もし主〈しゆ〉その日〈ひ〉をすくなくしたまはぬならば一人〈ひとり〉もすくはるるものはなからうけれども主〈しゆ〉の選〈えら〉みたまふたところのえらまれたもののためにその日〈ひ〉をすくなくしたまふであらう 1321 そのときもしキリストはここにありかしこにありといふものがあるとも信〈しん〉ずるな 1322 なぜなれば僞〈にせ〉キリスト僞〈にせ〉預言者〈よげんじや〉がおこつて休徴〈しるし〉と不思議〈ふしぎ〉な行〈わざ〉をおこなひあざむくことが出來〈でき〉ればあざむくであらう 1323 なんぢら愼〈つつし〉めよわれまへもつてなんぢらに悉〈のこらず〉これをつぐ 1324 そのときこの患難〈くわんなん〉ののち日〈ひ〉はくらく月〈つき〉はひかりを失〈うしな〉ひ 1325 天〈てん〉の星〈ほし〉はおち天〈てん〉の勢〈いきほ〉ひはふるふであらう 1326 そのときひとびとは人〈ひと〉の子〈こ〉がおほいなる權威〈けんゐ〉と榮光〈えいくわう〉をもつて雲〈くも〉のうちにあらはれて來〈くる〉をみるであらう 1327 またそのとき人〈ひと〉の子〈こ〉はその使〈つかひ〉たちをつかはして地〈ち〉のはてから天〈てん〉のはてまで四方〈しはう〉からそのえらばれたものをあつむるであらう 1328 なんぢらは無花果〈いちじく〉によつて譬〈たとへ〉をまなべその枝〈えだ〉がすでにやはらかになつて葉〈は〉がめをだせば夏〈なつ〉のちかくなつたのをしる 1329 そのやうになんぢらもすべこれらのことをみるならば時〈とき〉がちかく門口〈かとぐち〉にきたとしれ 1330 われまことになんぢらにつげんこれらのことの悉〈ことごと〉くなるまではこの民〈たみ〉は逝〈うせ〉ぬであらう 1331 天地〈てんち〉はなくなるともわが言〈ことば〉はなくならぬ 1332 その日〈ひ〉その時〈とき〉をしるものはただわが父〈ちち〉ばかりである天〈てん〉にある使〈つかひ〉も子〈こ〉もだれも知〈しる〉ものはない ○ 1333 この日〈ひ〉はいつくるかしれぬゆゑなんぢら愼〈つつしん〉で目〈め〉をさまして祈〈いの〉れ 1334 人〈ひと〉の子〈こ〉は旅立〈たびだち〉をするとてその權〈けん〉をしもべどもにまかせおのおのに爲〈なす〉べきことをさづけまた閽者〈かどもり〉におこたらずに守〈まも〉れといひつけて家〈いへ〉をでる人〈ひと〉のやうなものである 1335 それゆゑになんぢらもおこたらずに守〈まも〉れ家〈いへ〉の主人〈あるじ〉は宵〈よい〉にかへるか夜半〈よなか〉にかへるか鷄〈にはとり〉の鳴〈なく〉ころにかへるか早晨〈よあけ〉にかへるかしれぬ 1336 おそらくは思〈おもひ〉もよらぬときにきてなんぢらが寝〈ねむ〉つて居〈をる〉のをみるであらう 1337 わがおこたらずにまもれとなんぢらにつげるのはすなはちすべてのひとにつげるのである 第十四章 1401 さて逾越〈すぎこし〉すなはち除酵節〈たねいれぬぱんのいはひ〉の二日〈ふつか〉まへに祭司〈さいし〉の長〈をさ〉と學者〈がくしや〉たちがたばかつてイエスをとらへてころそうとして 1402 まをしますには祭〈まつり〉の日〈ひ〉にはせぬがよい民〈たみ〉のうちに亂〈らん〉がおこつてはならぬ ○ 1403 イエスがベタニヤの癩病〈らいびやう〉やみのシモンの家〈いへ〉で食事〈しよくじ〉をしておいでなされたときある婦〈をんな〉が蝋石〈ろふせき〉のうつはにナルドといふ價〈あたひ〉のたかい膏〈あぶら〉をいれてもつてきてそのうつはをやぶつてイエスの頭〈かしら〉にあぶらをそそぎました 1404 ある人々〈ひとびと〉がたがひに腹〈はら〉を立〈たつ〉てまをしますにはこのあぶらをつひやすのはどういふわけである 1405 これをうるならばデナリ三百〈さんびやく〉あまりを貧乏人〈びんぼうにん〉にほどこすことができるといつてその婦〈をんな〉をいひとがめました 1406 イエスがおふせられますにはそれに係〈かま〉ふな何〈なぜ〉この婦〈をんな〉をなやますかわれに善〈よい〉ことをしたのである 1407 貧乏人〈びんぼうにん〉はいつもなんぢらとともにあるからこころまかせにそれを救〈すく〉ふことができるがわれはいつでもなんぢらとともに居〈を〉らぬ 1408 この婦〈をんな〉は力〈ちから〉いつぱいのことをして前〈まへ〉もつてわれを葬〈ほうむ〉るためにわが身〈み〉にあぶらを沃〈そそい〉だのである 1409 われまことになんぢらにつげん天〈あめ〉の下〈した〉いづくにてもこの福音〈ふくいん〉を宣〈のべ〉つたへられるところにはこの婦〈をんな〉のしたこともその記念〈かたみ〉のためにいひつたへられるであろう 1410 さて十二人〈にん〉のうちのひとりのイスカリオテのユダはイエスをわたそうとして祭司〈さいし〉の長〈をさ〉のところへまゐりましたれば 1411 この人〈ひと〉たちこれをきいてよろこんで金〈かね〉をあたへやうと約束〈やくそく〉しましたからユダはイエスをわたそうとその機〈をり〉を窺〈ねらつ〉て居〈をり〉ました ○ 1412 たねいれぬパンのいはひのはじめの日〈ひ〉すなはち逾越〈すぎこし〉の羔〈こひつじ〉をころすべき日〈ひ〉にお弟子〈でし〉たちがイエスのところへきてまをしますには逾越〈すぎこし〉の食物〈たべもの〉を何處〈どこ〉へいつて備〈そなへ〉ませうか 1413 イエスはふたりの弟子〈でし〉をつかはそうとしておふせられますには都〈みやこ〉へ行〈ゆけ〉そうするなら水〈みづ〉をいれた瓶〈かめ〉をもつてゐる人〈ひと〉にあふであらうからそれに從〈したが〉つて行〈ゆけ〉 1414 そうしてそのはいるところの主人〈あるじ〉にむかつていへ先生〈せんせい〉がおふせられるにはわが弟子〈でし〉とともに逾越〈すぎこし〉をたべる客〈きやく〉房〈ざしき〉はどこにあるか 1415 そういふならそのものが備〈そなへ〉たおほきい樓〈にかい〉房〈ざしき〉をなんぢらに示〈しめ〉すであらうからそこに備〈そなへ〉をせよ 1416 お弟子〈でし〉がいつて都〈みやこ〉へはいるとイエスのおふせられたとふりあひましたからすぎこしのそなへをいたしました ○ 1417 日〈ひ〉がくれてからイエスが十二の弟子〈でし〉とともにおいでなされて 1418 席〈ざ〉について食事〈しよくじ〉をなされるときにイエスがおふせられますにはまことに我〈われ〉なんぢらに告〈つげ〉んなんぢらのうちわれとともに食〈しよく〉するものの一人〈ひとり〉に我〈われ〉を賣〈わたす〉ものがある 1419 弟子〈でし〉たちは心配〈しんぱい〉しておのおのイエスにまをしますには私〈わたくし〉でござりますかまたほかのひとりもまをしますには私〈わたくし〉でござりますか 1420 こたへておふせられますには十二のうちのひとりわれとともに手〈て〉をさらにつけるものがそれである 1421 人〈ひと〉の子〈こ〉はおのれについてしるされたとほり行〈ゆく〉が人〈ひと〉の子〈こ〉をわたすものは禍〈わざはひ〉なことであるその人〈ひと〉はいつそ生〈うま〉れぬはうが福〈さいはひ〉であつたらう 1422 みな食〈たべ〉るときにイエスはパンをとつて祝〈しく〉しそれをさいてお弟子〈でし〉たちにあたへておふせられますにはとつてたべよこれはわが身〈からだ〉である 1423 また杯〈さかづき〉をとつて謝〈しや〉しおあたへなされましたればみなその杯〈さかづき〉から飮〈のみ〉ました 1424 イエスがおふせられますにはこれは新約〈しんやく〉のわが血〈ち〉でおほくのひとのために流〈ながす〉ものである 1425 我〈われ〉まことになんぢらにつげんいまよりのち新〈あたらしき〉ものを神〈かみ〉の國〈くに〉でのむ日〈ひ〉までは葡萄〈ぶだう〉でつくつたものは飮〈のむ〉まい ○ 1426 歌〈うた〉をうたつて橄欖山〈かんらんざん〉へまゐりました 1427 イエスがおふせられますには今夜〈こんや〉なんぢらはみなわれについて礙〈つまづ〉くであらう何〈なぜ〉なれはわれ牧者〈かふもの〉をうたんそのとき綿羊〈めんやう〉ちるべしとしるされてある 1428 けれどもわれは甦〈よみがへ〉つてからなんぢらよりさきにガリラヤへ行〈ゆ〉かう 1429 ペテロがイエスにまをしますにはたとひ皆〈みな〉が礙〈つまづ〉いても私〈わたくし〉は礙〈つまづき〉ません 1430 イエスがおふせられますには我〈われ〉まことに汝〈なんぢ〉につげん今日〈けう〉今夜〈こんや〉鷄〈にはとり〉が二次〈ふたたび〉なかぬうちになんぢは三次〈みたび〉われをしらぬといふだらう 1431 ペテロはまたくりかへしてまをしますには私〈わたくし〉はあなたとともに死〈しぬ〉ともあなたをしらぬとはまをしませんほかの弟子〈でし〉もみなそうまをしました 1432 それからゲツセマネといふところへまゐりましたイエスがお弟子〈でし〉におふせられますには祈〈いのる〉あひだここに坐〈すは〉つて居〈を〉れ 1433 つひにペテロ ヤコブ ヨハネをつれておいでなされひどく憂〈うれ〉ひ悲〈かなし〉みをもよふして 1434 おふせられますにはわが心〈こころ〉はいたくうれひて死〈しぬ〉ばかりであるなんぢらはここにまつて目〈め〉をさまして居〈を〉れ 1435 すこしすすんで地〈ち〉に伏〈ふ〉してお祈〈いの〉りなされますにはもし適〈かな〉はばこの時〈とき〉をわれより去〈さら〉せたまへ 1436 またおふせられますにはアバ父〈ちち〉よあなたにおいてはすべてのことできぬことはござりませんこの杯〈さかづき〉をわれより取〈とり〉たまへされど我〈わが〉おもふところをなさうとするではござりませんあなたの思〈おもひ〉たまふところにまかせたまへ 1437 イエスは三人〈さんにん〉のところへおいでなされてその寢〈ね〉てをるのを御覽〈ごらん〉なされてペテロにおふせられますにはシモンなんぢは寢〈ね〉たか一時〈ひととき〉も目〈め〉をさまして居〈を〉ることができぬか 1438 誘惑〈まどひ〉にいらぬやうに目〈め〉をさましかつ祈〈いの〉れその心〈こころ〉はねがふけれども肉體〈にくたい〉はよわい 1439 また行〈いつ〉ておなじことをいふてお祈〈いのり〉なされました 1440 歸〈かへ〉つて御覽〈ごらん〉なさるとお弟子〈でし〉たちはまた寢〈ね〉てをりましたこれはその目〈め〉がつかれたからでござりますイエスになんともおこたへのまをしやうがござりませんでありました 1441 三次〈さんど〉來〈き〉ておふせられますにはもうねてやすめ十分〈じふぶん〉である時〈とき〉がきた人〈ひと〉の子〈こ〉は罪人〈つみひと〉の手〈て〉にわたされる 1442 起〈おき〉よ行〈ゆか〉ふ我〈われ〉を賣〈わた〉すものが近〈ちか〉づいた ○ 1443 斯〈かう〉おふせられるとすぐに十二人のひとりのユダが劔〈つるぎ〉と棒〈ぼう〉う〔「う」衍字〕とをもつたおほくの人々〈ひとびと〉とともに祭司〈さいし〉の長〈をさ〉と學者〈がくしや〉と長老〈としより〉のところからまゐりました 1444 イエスをわたすものがこの人〈ひと〉たちに號〈あいづ〉をしてまをしますにはわたしが口〈くち〉を接〈つける〉のがそれであるからそれを捕〈とら〉へてしつかとつれて行〈ゆけ〉 1445 といつて間近〈まぢか〉く來〈き〉てイエスにちかづいてラビラビといつて口〈くち〉をつけました 1446 ひとびとイエスに手〈て〉をかけてとらへました 1447 傍〈そば〉にたつてゐたひとりが刀〈かたな〉を拔〈ぬい〉てさいしのをさのしもべをうつてその耳〈みみ〉をそぎました 1448 イエスがこたへておふせられますには刀〈かたな〉と棒〈ぼう〉をもつて盜賊〈ぬすびと〉をとるやうにして我〈われ〉をとらへにきたか 1449 われは毎日〈まいにち〉なんぢらとともに神殿〈みや〉で教〈をし〉へたのになんぢらはわれをとらへなんだしかしこれは聖書〈せいしよ〉にかなはせるためである 1450 弟子〈でし〉たちはみなイエスをはなれて遁〈にげ〉ました 1451 ひとりの少〈わかい〉者〈もの〉が身〈み〉にただ麻〈あさ〉の夜具〈やぐ〉をきてイエスにしたがひましたが逮捕〈とりて〉のものどもがこれをとらへましたれば 1452 その麻〈あさ〉の夜具〈やぐ〉をすてて裸〈はだか〉でにげました ○ 1453 ひとびとがイエスを祭司〈さいし〉のをさのところへつれてまゐりますると祭司〈さいし〉のをさと長老〈としより〉と學者〈がくしや〉たちがみなそのところへあつまりました 1454 ペテロは遠〈とほ〉くはなれてイエスにしたがひ祭司〈さいし〉のをさの庭〈には〉のうちまで入〈はい〉つて僕〈しもべ〉とともに坐〈すは〉つて火〈ひ〉にあたつて居〈を〉りました 1455 祭司〈さいし〉のをさと集議員〈しうぎやく〉はみなイエスをころそうとして證據〈しようこ〉をもとめますがありません 1456 おほくの人々〈ひとびと〉がイエスに僞〈いつはり〉の證據〈しようこ〉をいひかけますけれどもその證據〈しようこ〉が合〈あひ〉ません 1457 あるひとびとがたつていつはりの證據〈しようこ〉を言〈いひ〉出〈だ〉しますに 1458 このものは手〈て〉をもつて造〈つく〉つたこの神殿〈みや〉をこはして三日〈みつか〉のうちに手〈て〉をもつてつくらぬ他〈ほか〉のみやをたてるといつたのを私共〈わたくしども〉はききました 1459 とまをしましたがそのしようこもまた合〈あひ〉ません 1460 祭司〈さいし〉のをさが中〈なか〉にたつてイエスにとふてまをしますにはなんぢこたへることはないかこの人々〈ひとびと〉がなんぢにたてる證據〈しようこ〉はとうである 1461 イエスは默然〈もくねん〉としてなにもおこたへなさらぬものゆゑ祭司〈さいし〉のをさはまたとふてまをしますにはなんぢは頌〈ほむ〉べきものの子〈こ〉キリストか 1462 イエスがおふせられますには左樣〈さやう〉である人〈ひと〉の子〈こ〉が權〈ちから〉あるもの右〈みぎ〉に坐〈ざ〉して天〈てん〉の雲〈くも〉のなかにあらはれて來〈く〉るのをなんぢらみるであらう 1463 時〈とき〉に祭司〈さいし〉のをさが衣服〈きもの〉を裂〈さい〉てまをしますにはなんぞまたほかにしようこがいらうか 1464 あの汚〈けが〉したことばは御邊〈ごへん〉達〈たち〉もみなきかれた御邊〈ごへん〉達〈たち〉はいかにおもはれますかとまをしたればみなイエスを死〈し〉にあたるべきものとさだめました 1465 あるものはイエスに唾〈つばき〉をしまたその顔〈かほ〉をおほひ拳〈こぶし〉でたたいてまをしますには預言〈よげん〉せよまた僕〈しもべ〉どもも手〈て〉の掌〈ひら〉でイエスをうちました 1466 ペテロは下庭〈したには〉にをりましたが祭司〈さいし〉のをさのある婢〈けぢよ〉がきて 1467 その火〈ひ〉にあたつてをるのを見〈み〉つくづくとみてまをしますにはおまへもナザレのイエスとともにをつた 1468 ペテロはいひけしてまをしますにはその人〈ひと〉はしらぬおまへのいふことはわからぬといつて庭口〈にはぐち〉へ出〈で〉ると鷄〈にはとり〉が鳴〈なき〉ました 1469 その下女〈げぢよ〉がペテロをみて傍〈そば〉にたつてをるものにまたまをしますにはこの人〈ひと〉もあの黨〈ともがら〉のひとりである 1470 ペテロはまたいひけしましたがすこしたつとまた傍〈そば〉にたつてをるものがペテロにまをしますにはおまへはたしかにあの黨〈ともがら〉のひとりであるその證據〈しようこ〉にはおまへの方言〈くになまり〉がガリラヤ人〈びと〉である 1471 するとペテロは誓〈ちかつ〉てわたしは神〈かみ〉の祟〈たたり〉をうけてもおまへたちのいふその人〈ひと〉は知〈しら〉ぬとまをしますと 1472 そのときに鷄〈にはとり〉が二次〈ふたたび〉なきましたペテロはイエスの鷄〈にはとり〉のふたたびなくまへに三次〈みたび〉われをしらずといはんとおふせられたことをおもひだしまたそれをおもひかへして泣〈なき〉悲〈かなしみ〉ました 第十五章 1501 平旦〈よあけ〉になるとすぐに祭司〈さいし〉のをさ長老〈としより〉學者〈がくしや〉たちはすべての集議員〈しうぎやく〉とともに相談〈そうだん〉してイエスを繋〈しば〉つてひきつれてピラトにわたしました 1502 ピラトがとふてまをしますにはなんぢはユダヤびとの王〈わう〉かイエスがこたへておふせられますにはなんぢのいふとほりである 1503 祭司〈さいし〉のをさはいろいろのことをもつて訟〈うつたへ〉ましたが 1504 ピラトはまたイエスにとふてまをしますにはなにも答〈こたへ〉ぬかこの人々〈ひとびと〉がなんぢについて證據〈しようこ〉をたてたことはどれだけであるか 1505 ピラトが不思議〈ふしぎ〉におもふほどイエスはなにもおこたへなされません 1506 さてこの祭〈まつり〉のときにはユダヤびとのねがひにまかせて一人〈ひとり〉の囚人〈とがにん〉をゆるす例〈れい〉がござります 1507 ここにバラバといふものがあつておのれとともに謀叛〈むほん〉したともがらともにつながれてをりましたがこのものどもは謀叛〈むほん〉のとき人〈ひと〉を殺〈ころし〉したものでござります 1508 ひとびとは聲〈こゑ〉をあげてよばはつて恒例〈いつもの〉とほりにしてくださいとねがひました 1509 ピラトがこたへてまをしますにはユダヤびとの王〈わう〉をなんぢらにわが赦〈ゆる〉すことをねがふか 1510 ピラトは祭司〈さいし〉のをさたちが嫉〈ねたみ〉によつてイエスをわたしたことをしつてをつたからこのやうにまをしたのでござります 1511 さいしのをさは民〈たみ〉にバラバをゆるしてもらうことを願〈ねが〉へとすすめました 1512 ピラトはまたこたへてまをしますにはさらばユダヤびとの王〈わう〉となんぢらがとなふるものには何〈なに〉をすることを望〈のぞむ〉か 1513 ひとびとまたさけんでこれを十字架〈じふじか〉につけよとまをします 1514 ピラトがまをしますにはあれは何〈なん〉の惡事〈あくじ〉をしたか人々〈ひとびと〉ますますさけんでこれを十字架〈じふじか〉につけよとまをします 1515 ピラトは民〈たみ〉の氣〈き〉にいられやうとおもつてバラバをゆるしてイエスをむちうつて十字架〈じふじか〉につけるためにわたしました 1516 兵卒〈へいそつ〉どもはイエスを役所〈やくしよ〉につれていつて全營〈くみぢゆう〉をよびあつめ 1517 紫〈むらさき〉の袍〈うはぎ〉をきせ棘〈いばら〉で冠〈かんむり〉をあんでかむらせました 1518 そうしてまをしますにはユダヤびとの王〈わう〉安〈やすんじ〉たまへ 1519 葦〈よし〉をもつてその頭〈かしら〉をたたきまた唾〈つばき〉をし跪〈ひざまつ〉いて拜〈をがみ〉ました 1520 さんざん嘲弄〈てうろう〉してしまつてから紫〈むらさき〉の衣〈きもの〉をはいでもとの衣〈きもの〉をきせて十字架〈じふじか〉につけるとて引〈ひい〉ていきましたが 1521 アレキサンデルとルフの父〈ちち〉のクレネのシモンといふものが田間〈いなか〉からきてそのところを通〈とほ〉りかかりましたから強〈しひ〉てそれにイエスの十字架〈じふじか〉をおはせました 1522 イエスをゴルゴダ譯〈とけ〉ばすなはち髑髏〈されかうべ〉といふところへつれてきました 1523 沒藥〈もつやく〉を酒〈さけ〉にまぜて飮〈のま〉せやうとしましたがそれをおうけなさりませんでありました 1524 イエスを十字架〈じふうじか〉につけた後〈あと〉で誰〈だれ〉が何〈なに〉をとらうといつて鬮〈くじ〉をとつてその衣服〈きもの〉をわけました 1525 朝〈あさ〉の第九時〈だいくじ〉にイエスを十字架〈じうじか〉につけ 1526 その罪標〈すてふだ〉をユダヤ人〈びと〉の王〈わう〉とかきました 1527 二人〈ふたり〉の盜賊〈ぬすびと〉がイエスとともに一人〈ひとり〉はその右〈みぎ〉一人〈ひとり〉はその左〈ひだり〉に十字架〈じふじか〉につけられました 1528 これは聖書〈せいしよ〉にかれは罪人〈つみびと〉とともに算〈かぞへ〉られたりとあるのにかなひました 1529 往來〈ゆきき〉のものがイエスを詬〈ののし〉つて首〈くび〉をふつてまをしますにはああ神殿〈みや〉をこぼちてこれを三日〈みつか〉にたてるものよ 1530 自〈みづ〉からを救〈すく〉ひて十字架〈じふじか〉をおりよ 1531 祭司〈さいし〉のをさ學者〈がくしや〉とももおなじく嘲弄〈てうろう〉してたがひにまをしますには人〈ひと〉をすくふて自〈みづから〉をすくふことは出來〈でき〉ぬ 1532 イスラエルの王〈わう〉キリストは今〈いま〉十字架〈じふじか〉よりくたるべしさらばわれらみてこれを信〈しん〉じやうまた偕〈とも〉に十字架〈じふじか〉につけられたものどももイエスをののしりました 1533 第十二時〈たいじふにじ〉から三時〈さんじ〉まであまねく地〈ち〉のうへがくらくなりました 1534 第三時〈だいさんじ〉にイエスはおほごゑによんで「エリエリラマサバクタニ」とおふせられましたこれをとけばわが神〈かみ〉わが神〈かみ〉なんぞわれをすてたまふやといふことでござります 1535 そばにたつてをるののうち〔「も」脱字?「もののうち」〕あるひとがこれをききてあれはエリヤをよぶのであるとまをしました 1536 ひとり走〈はし〉つて行〈いつ〉て海絨〈うみわた〉をとり醋〈す〉をふくませてそれを葦〈よし〉につけてイエスにのませてまをしますに待〈まて〉エリヤがきてすくふかどうかこころみよう ○ 1537 イエスはおほごゑを出〈だし〉て息〈いき〉がお絶〈たえ〉なされました 1538 そのとき神殿〈みや〉の幔〈まく〉が上〈うへ〉から下〈した〉までさけて二〈ふたつ〉になりました 1539 イエスにむかつてたつてをつた百人〈ひやくにん〉のかしらがこのやうによばはつて息〈いき〉のお絶〈たえ〉なされたのをみてまをしますにはまことにこの人〈ひと〉は神〈かみ〉の子〈こ〉である ○ 1540 またはるかにみてをつた婦〈をんな〉がござりましたがその中〈うち〉にをつたものはマグダラのマリアとちひさいヤコブとヨセフの母〈はは〉のマリアとサロメでござります 1541 このひとびとはイエスのガリラヤにおいでなされたときにしたがひつかへたものでござりますまたこのほかにもイエスとともにエルサレムへ上〈のぼ〉つたおほくの婦〈をんな〉たちがをりました ○ 1542 この日〈ひ〉はそなへ日〈ひ〉で安息日〈あんそくにち〉のまへの日〈ひ〉ゆゑに 1543 日〈ひ〉くれがた貴〈たふと〉き集議員〈しうぎやく〉のアリマテヤのヨセフといふものがきましたこの人〈ひと〉は神〈かみ〉の國〈くに〉をのぞんでをる人〈ひと〉でござりますこのひとは憚〈はばから〉ずにピラトのところへいつてイエスの死骸〈しがい〉を請〈こひ〉ました 1544 ピラトはイエスのもはやお死〈しに〉なされたことを不思議〈ふしぎ〉におもふて百人〈ひやくにん〉の首〈かしら〉をよんでそのお死〈しに〉なされてから時〈とき〉がたつたかどうかととふて 1545 百人〈ひやくにん〉のかしらから聞〈きい〉てその時〈とき〉のたつたことをしりそうして死骸〈しがい〉をヨセフにあたへました 1546 ヨセフは布〈ぬの〉をかひもとめてそうしてイエスをとりおろしてその布〈ぬの〉につつんで岩〈いは〉にほつた墓〈はか〉において石〈いし〉を墓〈はか〉の門〈もん〉にころばしておきました 1547 マグタラのマリヤとヨセの母〈はは〉のマリアはその死骸〈しがい〉をおいたところをみました 第十六章 1601 安息日〈あんそくにち〉がすぎてマグダラのマリアとヤコブの母〈はは〉のマリアとサロメは香膏〈にほひあぶら〉を買〈かひ〉ととのへイエスにぬらうとおもつてきました 1602 七日〈なぬか〉の始〈はじめ〉の日〈ひ〉ごく早〈はや〉く日〈ひ〉の出〈で〉ごろ墓〈はか〉にきて 1603 たがひにまをしますには誰〈だれ〉か石〈いし〉を墓〈はか〉の門〈もん〉からころばしてとつてくれるものがあるであらうかその石〈いし〉はたいそう大〈おほき〉いからそういつたのでござります 1604 かういつて目〈め〉をあぐると石〈いし〉がもはやころばしてあるのをみました 1605 はかに入〈はい〉つてみると白〈しろい〉衣〈きもの〉をきた少〈わかい〉ものが右〈みぎ〉のはうにすはつてをるのをみておどろき不思議〈ふしぎ〉におもひました 1606 その少〈わかい〉ものがまをしますにはおどろきあやしむななんぢらは十字架〈じふじか〉につけられたナザレのイエスをたづねるがイエスはもはや甦〈よみがへ〉つて此〈ここ〉にはおいでなさらぬイエスをおおきまをしたところをみよ 1607 また行〈ゆい〉てお弟子〈でし〉たちとペテロにつげよイエスはなんぢらにさきだつてガリラヤへおいてなされたなんぢらはそのおふせられたとほりガリラヤでおあひまうすであらう 1608 かれらはここを出〈で〉て趨〈はし〉りかつ戰慄〈ふるひ〉かつおどろきまた一事〈ひとこと〉も人〈ひと〉にかたりませんでありましたそれは懼〈おそれ〉たからでござります ○ 1609 イエスは七日〈なのか〉の始〈はじめ〉の日〈ひ〉のよあけごろに甦〈よみがへ〉つてまづマグタラのマリアにおあらはれなされました先〈さき〉にイエスはこのものより七〈なな〉つの惡鬼〈あくき〉をおおひだしなされました 1610 イエスとともにあつたものが泣〈なき〉悲〈かなし〉んでをつたときにこの婦〈をんな〉がきてこれらのことをつげました 1611 この人〈ひと〉たちはイエスがおよみがへりされてこの婦〈をんな〉におみえなされたことをききましたが信〈しん〉じませんでありました 1612 こののちそのうち二人〈ふたり〉のものが田間〈いなか〉へまゐりましたがみちをあるくときイエスが變〈かはつ〉た容〈すがた〉でおあらはれなさりました 1613 この二人〈ふたり〉のものが行〈いつ〉てほかの弟子〈でし〉たちにつげたけれどもまたこれも信〈しん〉ませんでありました ○ 1614 またそののち十一の弟子〈でし〉の食事〈しよくじ〉をしてをるときにあらはれてその信仰〈しんかう〉なきこととその心〈こころ〉の頑〈にぶき〉ことをおいましめなされました 1615 イエスがおふせられますには普〈あまね〉く世界〈せかい〉をめぐりてすべての人〈ひと〉に福音〈ふくいん〉を宣〈のべ〉傳〈つたへ〉よ 1616 信〈しん〉じてバプテスマをうくるものは救〈すくは〉れ信〈しん〉ぜざるものは罪〈つみ〉にさだめられる 1617 信〈しん〉ずるものには左〈さ〉のごとき休徴〈しるし〉がしたがふであらうわが名〈な〉によつて惡鬼〈あくき〉をおひだし外國〈ほかぐに〉のことばをいひ 1618 また蛇〈へび〉をとらへ毒〈どく〉を飮〈のむ〉とも害〈かい〉なくまた手〈て〉を病〈やまい〉のものにつけるならば愈〈いえ〉るであらう ○ 1619 かくて主〈しゆ〉はひとびとにおかたりなされたのち天〈てん〉にあげられ神〈かみ〉の右〈みぎ〉にお坐〈ざ〉しなされました 1620 お弟子〈でし〉たちはあまねく福音〈ふくいん〉を宣〈のべ〉ました主〈しゆ〉もまたかれらに力〈ちから〉をおあはせなされその從〈したが〉ふところの休徴〈しるし〉をもつてその言〈ことば〉の證〈あかし〉となされましたアーメン