2010-2011年度 卒業発表会内容紹介

※当年度は東日本大震災の影響のために卒業発表会は行われませんでした。本欄では、各学生の卒業制作(研究レポート)の要旨を掲載します。ここに掲げなかった学生も、各自の選択した目的に応じて卒業制作を提出しております。

東海道における近世民衆地図学

Joshua Batts (Columbia University)

江戸時代は版画、紀行文、名所図会、道中図絵などによって、古代から継続してきた「旅文化」の民衆化をもたらした時期であった。そして、徳川幕府が権力を握り、それを行使するために整備した東海道とその宿場はこの民衆化とともに成熟し、「旅文化」を代表する役割を果たした。東海道に関しては数多くの資料が残っているが、一目で見渡せる道中図絵を取上げ、東海道の空間描写、その特徴を指摘したい。特に幕府が予想しなかった商業化と重要な交通路であった東海道の関連性を吟味する。つまり、東海道は名所、名物を始め、政府の権威を象徴した関所に至るまで出版文化の発展により商品として消費されるようになってきたのである。このように東海道道中図絵における政治と商業の交錯を考慮すると、民衆地図の誕生とその拡張が明らかになる。

経済と労働、統計と希望

Catherine Bender (Ohio State University)

日本は他の先進国と同じく、少子高齢化が進んでいる。2010年に経済大国二位から三位に転落したことを背景に、日本の国際社会における地位の低下に関して主に二つの説がある。一つは、日本の最近の若者は怠惰であり、フリーターやニートの生活で満足し、彼らの無責任な態度が歴史的に勤勉な日本社会の基本構造を衰弱させているという説だ。もう一つは、移民労働の受け入れなど、経済のグローバル化に伴う日本の国際化が不十分であることだ。これらは国内労働市場を中心にする点で共通しており、現代の日本社会は労働の「ひと」より「もの」の側面を扱う傾向があるという批判があがっている。労働市場、人口問題、地域経済を検討するとき、経済の計量的な分析が通常であるが、希望学という学問は「希望」という概念を分析の道具として用いて、生きることと働くことの二重性の見直しを促している。

宇多朝の政治と天皇の役割

Christoffer Bovbjerg (University of California, Berkeley)

宇多天皇はさまざまな意味で典型的な天皇とは言えない。官人の経験があり、成人してから予想外の即位をし、宮廷や政治の改革を達成し、貴族との関係を大きく変えて特別な天皇親政を行ったと一般に言われている。それはある程度正しいが、宇多天皇も、他の天皇と同じような社会的な圧力や規制を受けていないというわけではない。

宇多朝を熟考すると、数々の重要な点が見えてくる。例えば、律令制から離れる傾向、「公」から「私」への流れ、令外官や私的な出仕、天皇と貴族の政治的力関係、などである。宇多期には、多くの研究すべき課題があると考えている。

日本政治とツイッター:政治家は空高く羽ばたくことができるか

Garrett Bredell (University of Washington)

ツイッターとは新たなソーシャルネットワーングのことで、2009年ごろから急速に利用率が高まりました。よくある使い方は友達どうしが「つぶやき」あったり、企業が宣伝したりするためですが、新しい利用法が多方面から現れました。特に最近、政治家がツイッターを使い始めました。以前は政治家が選挙活動のためにテレビ、ラジオや自分のキャンペーンのサイトも使っていました。なぜツイッターまでも利用するようになったのでしょうか。この研究で日本の政治家とツイッターの関係を考察します。どのような政治家がツイッターをよく使うのか分析し、また、政治家がツイッターを使う理由を考えます。その方法として、ツイッターを使っている国会議員の政党、選挙区、性別、年齢、「つぶやき」の内容を調べます。

中世平民文化史の視点

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

人力車の立て場への再訪:昭和時代の方言学の響き

Anne Buxton (University of Chicago)

民俗学は、20世紀初頭に学問分野として弾みがついた。その当時の背景には、明治時代の激しい近代化による日常生活の大変革があった。柳田国男などの民俗学者達は、日本の各地方を徹底的に調べて伝統的な習慣が近代化の陰で消滅しないうちにその残部を採集した利他主義者として広く認められている。しかし昭和初期の、民俗学の一部である方言研究という学問の知見をさらに吟味すると、このような民俗学は政府の統一化勢力、つまり標準語に対抗するための学問ではなく、むしろ「よりよい国語を得る」ための学問であったようである。この研究では、柳田国男が書いた、方言の将来と標準語の将来について二つの文章を例として取り上げ、「方言研究が標準語の形成を支える」という逆説的な論理を、柳田が重視した「方言の叙情性の永続性」という側面から分析する。まず、明治政府の標準語運動の歴史から始まって、次に柳田国男の方言研究に対する経歴にも触れて、最後に柳田の予測的な二つの文章を例にとって「方言の叙情性の永続性」について熟考するという順で、方言研究が標準語づくりの「助手」として果たした役割を分析する。

『古今和歌集』の比喩的な言語と六朝文学の「見えない風」

Eno Compton (Princeton University)

この六十年間、平安時代の和漢比較文学という分野では数多くの有益な研究が出版されてきた。これらの研究は、中国の六朝文学という背景のもとで、改めて和歌とりわけ『古今和歌集』を読み直す試みの重要性を物語っている。漢詩文の影響を考慮する最近の成果は、これまで何度も読まれた和歌であってもなお新しい読み方が存在することを示唆している。拙稿は、こうした従来の成果を踏まえ、古今和歌集と六朝詩歌の関係を風という具体的な例を通して検討し、和歌にこれまで見出されてこなかったエロティックな様相を読み取ろうとするものである。

日本建築史における桂離宮の美

Carrie Cushman (Vanderbilt University)

アメリカで日本の伝統的な建築を代表するのはどの建築かといえば、それは京都の桂離宮である。もちろん、伊勢神宮や東照宮も名所として西洋ではよく知られているが、さらに日本建築史の文脈の中で桂離宮は重要な位置を占めるようになってきた。やや誇張しすぎるかもしれないが、何よりも日本の美的な精神を本質的な象徴として示されることもある。日本でもそのような極端な話が聞かれる。しかし、桂離宮は常にそのような位置を保つというわけではない。実際には、昭和初期に起こった現象である。本稿ではその桂離宮の再解釈として創られた歴史を分析する。最初に、現代の名所としての桂離宮の一般的なイメージを説明する。そして、西洋の専門家、とくにドイツの建築家ブルーノŸタウトの評価を考察する。タウトは桂離宮の発見者だとよく言われる。この誤解に対する井上章一の見解も分析しながら、日本建築史における桂離宮の美とその評価を再検討する。

アメリカにおける進化論と反進化論にまつわる問題について

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

医療系日本語への扉

Jeffrey Dorr (University of Florida)

私は、個人プロジェクトとして医療用語のリストを作成しました。将来的に、日本の医師国家試験に合格して、日本で診療ができるようになることが主な動機です。医療用語の単語集はもう市販されていますが、使い方まで理解することは難しいです。一方、医師国家試験の問題には、患者の症例をもとにしたものが数多くあり、用語の実際の使い方がよく分かります。そこで、過去の医師国家試験問題を使ってリストを作成しました。まず、問題文から言葉を抽出し、英語の訳をつけ、さらに、医療分野により言葉を分類しました。このリスト作りは継続中で、まだ完成ではありません。今後も用語を追加したり分変更を加えて、私以外の医療従事者にも利用しやすいものにすることが究極の目標です。

「マスメディア」としての「メディア論」

William Feeney (University of Chicago)

この発表は「メディアの影響」についての常識的な概念が定着されていくかという問題意識の下でメディア論を考察するものである。一般的にメディア論はマスメディアからの社会的な影響について調査し、説明する研究だと考えられているが、メディア論自体もマスメディアの一部と考えれば、メディアについての概念に影響を与えるものと言えるだろう。この発表では、二種類のメディア論の議論や、構造などに注目し、メディア論の「影響」を検討する。

食生活の理想を考える: 千変万化する食のあり方

Felice Forby (Ohio State University)

最近料理と食に対する人の知識や関心が不足しているせいか、健康に悪い食生活が問題になってきた。それゆえに、食生活を根本的に変えなければならないとよく主張されている。私達の食生活は、人の健康に対してのみならず、農業や社会にも大きい影響を与えている。社会学の勉強でそのようなことを認識したのをきっかけにして、食べ物の歴史や農業、食文化や食生活などについて「食」を様々な面から見るブログをインターネットに掲載することにした。そして、料理関係の会社でインターンシップをしながら、私自身が日本で生活をしている間に食に関して体験した出来事も熟考し、料理のあり方や食生活に対する自分自身と多くの人の思索を深められることを目的にしたい。本論では、メディア、食生活、そして家庭料理の継承の関係を掘り下げる。

土地と支配を中心とする中世前期日本歴史学・歴史叙述の流れ

Kevin Gouge (University of Michigan)

私の研究のテーマは、中世前期の武士の家門・一族の形や機能を古文書から分析する事です。しかし、ある中流階層の武士を研究するために、その武士が組み込まれているいろいろないわゆる「支配体制」も研究する必要があります。そこで、私がいままで研究した一族はどんな支配体制・軍制・領主組織から影響を与えられたかもっと詳しく理解するために、支配のシステムをさまざまなレベルで分析する記事を読むことにしました。

今学期の目的は、ミシガン大学にない二次資料、特に最近の雑誌の記事を集めて読むことでした。この論文では、今学期読んだそれぞれの記事についてまとめたいと思います。このようなリストをつくることは、今後博士論文の研究のために役に立つと思います。

エドワード・エス・モース:日本の「考古学の父」

Gloria Guy (University of California, Los Angeles)

E.S.モースと言えば、様々な呼称が思い出されるが、恐らく一番有名なのは、「日本の考古学の父」であろう。モースはお雇い外国人として明治時代に東京大学で初の生物学者になったり、大森貝塚で日本初の科学的発掘を指導したり、「日本その日その日」という日記で欧米に日本の文化を紹介したりした。しかしながら、日本におけるモースの知名度に対し、アメリカでモースはほとんど忘れ去られてしまっている。なぜかというと、日本では学術界の先駆者であり、初期の国家主義を意図的ではなく支えたからである。この論文ではモースの伝記と履歴を紹介し、なぜこの一人の学者が日本でこのような強い影響力があったかを探究する。

日韓防衛協力の拡大の見通し:動因と障害

Haitham Jendoubi (Yale University)

日本と韓国は初期段階ではあるが、防衛の分野で協力を始めている。しかし、両国においても数多くの課題が残存する中、果たして隣国同士で有意義な防衛連携枠組みを構築できるかが問われる。これは中国に対する両国の姿勢に影響を及ぼす問題であり、東アジア全体の安全保障と勢力図を左右する問題でもある。本稿は三つの部分に分けられる。まず、①過去の日韓間の防衛関係を分析し、今までの協力のきっかけ(動因)及び協力のさまたげ(妨害)を両国において指摘する。次に、②その要因を背景に展開されてきた具体例を踏まえて過去の協力の規模を確認する。最後に、③先に挙げた動因と妨害を適用しながら、今後の展望を推測する。

映画評論と冷戦期の地政学:ローカル映画としてのプログラムピクチャー

Daniel Johnson (University of Chicago)

日本の映画評論史を考えると、一つの印象を感じざるを得ない。それは、自国の映画よりハリウッドとヨーロッパの映画の方を称賛し、芸術的な価値を認める傾向である。大正期の純映画劇運動からこの言説は影響力を持ち、特にハリウッドを模倣する日本映画を強く批評したこともあった。しかし、この現象は映画のことだけではなく、日本と西洋の地政学的な不平等を表すことでもあるのではないだろうか。本論文では、冷戦期の商業映画の評論を考察し、模倣する日本映画の文化的な役割を議論する。しかし、主流映画評論を考察するだけではなく、大学生の映画研究会の映画観にも触れ、この若者達の大衆映画に夢中になったシネフィルイアと冷戦期の地政学的な状況を議論する。

神か食人者か:大岡•昇平の『野火』の分析

Claire Kaup (University of Michigan)

大岡•昇平の『野火』を読み、興味深い比喩や象徴を分析した。特に、「野火」の構造や語り手の意識の分析を通じて、戦争責任と語り手の読み手に対する操作の理解を読みた。語り手の本当の意図について考え、神と語り手の関係や狂人の意識の問題に関して議論する。 語り手の行為や態度は非常に複雑で取りにくく、『野火』の暴力的な存在は読み手の論理的な存在から離れているので、語り手に対して何らかの判定を下すことは無理なのではないだろうか。

歴史からアイデンティティーの追求:神奈川県立高校における日本史の必修化・郷土史・近代史の選択科目化

Blain Keller (University of Hawaii)

日本の歴史教育を学ぶことを通じて、日本人の学生は自国に対する意識をどのように持つだろうか。私は最近、神奈川県立高校における日本史の必修化または郷土史・近代史の選択科目化という学習指導要領の改正及びこの改正と愛国心の関係について研究する。まず、神奈川教育委員会並びに神奈川県の松沢前知事は日本史の必修化、郷土史・近代史の選択科目化を促進したという運動の歴史を要約する。それから、県立高校のために神奈川教育委員会が新しく作成した「郷土史かながわ」及び「近現代と神奈川」という教科書を分析する。最後に日本史の必修化に関する賛否両論を述べる。

高場乱研究の可能性

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

寺族の地位と教団の概念:川橋範子の論説に対して

Nicolette Lee (Bryn Mawr College)

日本仏教の特徴の一つは、女性と教団の関係にある。例えば、日本仏教の起源は尼僧が伝えてきた。尼僧と男性僧侶と檀家以外に、「寺族(じぞく)」という僧侶の妻の人も昔からいるそうである。しかし、主な宗派が「寺族」を公的に認めたくない理由は、その存在が伝統的な戒律と矛盾していることにある。そして川橋範子の『混在するめぐみ』のある文章では、「寺族の問題」に直接に向き合うと、女性と日本仏教関係が明らかに見られるとしている。川橋の論説に対して「寺族の問題」から女性の地位・男女関係などの議論は二つの基盤的な概念に基づいていると分析しようと思う。

真実、個性、現実と如月小春の『ロミオとフリージアのある食卓』

Rachel Lenz (University of Illinois at Urbana-Champaign)

如月小春の『ロミオとフリージアのある食卓』(1981年)はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を翻案した演劇を通じて、現代の都市社会と人間の状況を問い、真実と嘘や現実と幻想を混乱させる「メタ演劇」である。拙稿では如月の重要なテーマやモチーフ、特に「人間=人形」、「都市の共同体に対する個性」、「演劇と社会」などに注目しつつ、シェイクスピアの有名な「世界が舞台」という台詞を忠実に継承した『ロミオとフリージアのある食卓』における人間と演劇の関係を検討する。

「三谷幸喜らしさの特徴」:三谷映画作品に共通する三つの要素

Leslie Lim (Middlebury College)

日本映画界で注目を浴びている監督である三谷幸喜は数々の映画を製作し、知名度も人気も高まっている。国内の評価だけでなく海外でも好評である三谷映画はユニーク、かつ、普遍的とも評されているが、三谷作品の人気の秘密は一体何なのか。この質問に答えるため、三谷映画の特徴とも言える繰り返される現象、又は、テーマを探り、「三谷らしさ」を明らかにする。結論として、三つの特徴に分けるとすると、1)厄介な状況に陥る一般人そしてその反応、2)舞台経験のテクニカルな影響、及び3)過去への関心/ノスタルジアというものになる。三谷幸喜の様々な映画から事例を引き出し、三谷映画の基本要素はこの三つの特徴であることを明らかにしたい。

国家神道、歴史観及び法律に関する考察

Adam Lyons (Harvard University)

筆者の大学院における研究テーマは宗教と法律の関係であるが、本プロジェクトでは、宗教と法律の関係のうち、日本における国家神道の時代から現在に至までの宗教と国家の関係を検討する。より具体的には、靖国神社問題、戦争についての歴史観、教育制度、及び、天皇と皇室の儀式などを取りあげ、それらと日本国憲法第二十条によって保護されている信仰の自由との関連について議論を行う。本プロジェクトでは宗教と国家について議論する際に特に重要だと思われる、高橋哲哉『国家と犠牲』、島薗進『国家神道と日本人』、「君が代伴奏拒否事件」の最高裁判所判例の3つを通して議論を進めていく。

伝統芸能から現代演劇までの能楽の形態

John Oglevee (University of Hawaii)

明治維新以来、日本文化、特に伝統芸術は、一般的に日本国内にしかありませんでしたが、突如輸出され、とりわけ欧米各国が日本文化を歓迎しました。19世紀の中頃まで能楽の歴史はすでに500年も経っていましたが、当時の能楽は資金援助が必要な状況でした。なぜなら明治維新以降、幕府に支援されていなかったからです。そして能楽界の人々は自分たちで資金と観客を集めなければならなくなっていきました。一方、外国人は能への直接的な接触があまりなかったのですが、海外における能の普及活動は次第に重要になっていきました。例えば20世紀のイェイツの作品からブリテンの作品に至るまで、深い感銘が与えられました。今日21世紀では、影響のベクトルがある程度逆になったように感じられます。凝縮された身体技法、英語能や スペイン語能などの外国語能、能と西洋演劇との融合作品などが作られています。こうした状況は、今日の能を取り巻く厳しい規則を再考し、新しい時代の担い手をインスパイアーすることでしょう。

老化と高齢者に対する視点

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

松永弾正久秀とその政治的世界

Dan Sherer (Universiy of Southern California)

時代小説などに、「松永弾正久秀」という人物が登場する。将軍を暗殺したり、主君である三好家を乗っ取ったり、東大寺大仏殿を焼き討ちしたりする、冷酷な悪党として描かれることが多い。しかし、そのイメージは、優れた政治家であり、文化・芸術にも造詣が深い戦国大名、という人物像をねじ曲げてしまっている。そこで、本稿では松永久秀の政治的役割を中心として、その功績を明らかにしたい。先ずはその生まれ・出身を考察し、それから三好家家中における役割を復元する。最後に、三好三人衆及び織田信長との関係を解き、その最期をのべる。

福島第一原発事故による「境界」の破壊

Aleksandr Sklyar (Colgate University)

福島第一原子力発電所の事故は、限られた空間としての「福島第一原発」の「境界」を広く越えたものである。放射性物質は、地元の住民たちが保有していた空間、及び財産の「境界」をも破り、住民たちの生活の中にまで侵略したことになる。本稿では、この「境界」をキーワードとし、福島第一原発事故が初めて日本のニュースメディアの見出しに登場してからの10日間の報道に対象を絞り、この初期報道の話題の表れ方を分析する。ここには、様々な「境界」の破壊、新たな「境界」の設定が見られる。それから、チェルノブイリ原発事故のリクィダートル(事故後の処理業者)と彼の妻の証言に基づき、これからの福島第一原発の周辺処理作業の過程に生じる可能性のある幾つかの話題も提示する。

朝鮮半島の金剛山―日本人の目を通して見た霊山

Kendra Strand (University of Michigan)

「富士山」という名前を聞くと、数多くの風景写真を初め、広重や北斎の木版画などの様々なイメージが浮かんでくるだろう。 富士山が古代から有名な場所であり、現在でも国際的な共通認識の一部になっている。このような有名な場所つまり「名所」という概念は、抽象的な文化と具体的な場所、つまり地理とがつながるポイントであると考えられる。従って、富士山は名所として地理的な「場所」を表すと同時に、歴史的文化的な創造に関する共通認識の「空間」も表す。ここでは式部輝忠の「富士八景図」(15−16世紀)を中心に、富士山や東海道に関する和歌、紀行文、絵画を通し、富士山の「創造された景色」を眺め、その背景を想像し、新しく描写する。

日系人の強制収容の経験と教訓

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

日本における同性愛者に対するバッシング:暴力不在は錯覚か

Wilson Velasco (Stanford University)

近年、アメリカでは自殺に至るまでの同性愛者に対する嫌がらせや憎悪犯罪事件が多くあることが議論となった。それに対し日本ではそうした事件があまり報道されないため、アメリカ人より日本人は同性愛者に対してより寛容で、暴力や暴行はないと思い込みがちである。しかし、こうした平和的見方は実際は幻想であり、同性愛者に対する差別や同性愛嫌悪の表現が一般的に見られにくいのはメディアによって当事者がゲイであることが隠蔽されることで、無視されてしまう状況にあるのではないだろうか。本稿では、日本における同性愛者の態度のみならず、「男らしさ」への社会期待の観点からも議論したいと思う。

モダンな都市の構造と生活体験-東京と横浜おける復興都市計画とその実行-

Yu Yang (Columbia University)

本稿は1923年の関東大震災の後、東京と横浜において策定された復興都市計画とその実施について検討する。復興のため道路、公園などを新たに設けた結果、東京と横浜には新しい都市空間が生じ、新築された建築はモダン的昭和文化を具象した。それとは対照的に、浅草など下町の地区は放置され、無秩序な空間と混乱した生活状態が残存していた。こうした新旧空間の混淆が多くの作家に影響を与えた結果、彼らはその作品で都市空間における体験や印象を描写し、モダンな文化的空間を文学の中に創出した。本稿では都市計画や建築、文学作品の考察を通し、昭和期に隆盛を極めたモダンな都市文化に対する認識を深めたい。

滝沢馬琴の日記に見られる江戸後期の病気治療の習慣と文化

William Evan Young (Princeton University)

現在の江戸時代に関する医学の研究においては、医学理論や治療方法が分析対象の主流である。しかし、医療は"病"という経験における一部に過ぎない。江戸期の病人、家族、隣人等の病気の経験全体を明らかにするためには、医療と病の周縁の文化的な側面にも目を向けるべきであると考え、古医書だけでなく、病人によって書かれた史料を分析する。本研究では、読本作家として知られている滝沢馬琴の日記に注目し、江戸町人の病気と治療に関する習慣と文化を検討する。当時の人々の病人との交流の仕方、家族と友人の役割、見舞いや贈り物の習慣、医療情報交換の状況について考察したい。

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アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター
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